鷹野神社(豊岡市竹野町竹野字馬場町)

鷹野神社。

豊岡市竹野町竹野、竹野浜の近くに鎮座。

式内社 鷹野神社に比定される神社。

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境内

社頭

 

社号標

 

鳥居

 

扁額

 

手水舎

 

狛犬

 

社頭右手の鳥居

 

社殿右手の鳥居

 

牛?

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社等

境内社

 

境内の道路挟んで左手に数社の境内社があります。

 

奉攸伊垣大明神守護と彫られた碑

 

石碑の前の鳥居・旧と新

 

稲荷社

 

稲荷社狛犬

 

舟霊社

 

石祠

 

出雲大社大神 天照皇大神宮 住吉大明神 の碑

 

古川復一生誕の地碑(お医者さんらしい?)

賀嶋

神社北の竹野浜

日本の渚百選などに選ばれており、夏場は賑わう海水浴場。

浜の西側から北にぴょこんと突き出た半島があり、猫崎半島と呼ばれています。元は賀嶋という島だったたのが、砂州により竹野浜と陸続きになったもの。半島の先にある灯台の辺りが兵庫県最北端です。

 

一番右の高いところが賀嶋山

伝承によれば、竹野浜と賀嶋の接合点に鷹野神社があったとされています(当社はかつて加嶋宮天神とも呼ばれていました)。

 

賀嶋山の南麓、カシマカンコーの建物近くにある「誕生之浦」碑(大体の位置。Googlemapで柴栗山の碑と登録されていますが、これはすぐそばにある文化年間の詩碑)

ここは国譲りの談判を終えた武甕槌神が上陸した地点と伝えられ、誕生の浦と呼ばれています。

 

碑の下の浜には、波食甌穴群と呼ばれる海水の侵食作用でできた丸い穴が多数あります

普通は河床でみられるもので、海食によるものは珍しいのだとか。近くにはゾウの足跡化石なんかもあるそう。

 

浦から見た夕日

 

柴栗山の碑

 

柴栗山の碑

文化四年(一八〇七年)六月柴栗山が風光明媚な賀嶋の地で感嘆のあまり詩を詠み同十四年八月出石藩の土岐東市がこれを刻んで建立したのがこの碑である。

碑には「文化四年六月十日幕府の儒者である讃岐生まれの栗山が播磨の高見恭、但馬の医師黒崎擇等と来遊し、隠岐・佐渡・越前・越中越後を肘や腋に眺め、はるか雲天の外に満州を望んでその雄大な景色にいたく感動し、酒を汲んで広く豊かな心持ちになった。従う者は門人の三上順憲及び養子の允升であった。」と記されている。

栗山は香川県高松に生まれ、元文元年(一七三六年)から文化四年にかけて活躍した江戸時代中末期の儒者であって寛政の三博士の一人である。

天明八年(一七八八年)には、晶平坂学問所の教授となり寛政二年(一七九〇年)のかの有名な「異学の禁」は栗山の建議によってできたものである。

栗山は詩文筆礼に秀で当時有数の名文家といわれた。なお横の小碑は美濃鵜の漢学者村瀬藤城が栗山の詩を後世まで保存されることを希って詠んだ詩が刻まれている。

 

また、当社の南東に宇日神社(位置)があります。

『平成祭データ』によれば、竹野別氏族が当地に移住してきた際、原住民によって既に武甕槌神が鎮祭されていたため、初日(宇日)の丘に当芸志比古命の同一神族である宇比売神を奉斎し、鷹野神社の別宮・宇日神社とした、とあります。

由緒

由緒碑

式内 鷹野神社

御祭神

主祭神 武甕槌神

相殿神 天穂日命 天満大自在天神(菅原道眞公)

神社合併による御祭神

須佐之男命 建御雷命 伊波比主命 五男三女神

御由緒

当社は延喜式神名帳に載っている古社である。

御祭神については武甕槌神(天つ神)を天孫系神族として尊崇し、御神威をあがめて出雲系神族(国つ神)を制御するため鎮祭されたと伝えられている。

後世に至り菅原道眞公の怨霊を恐れるとともにその卓抜した文徳をあがめ、文道の神として天神信仰が広がった。

当社も道眞公を相殿に奉斎し、ご神紋も梅鉢を用い、浜の天神さんとして親しまれている。

創建時期は不詳ですが、当地に竹別(竹野別、多遅麻之竹別)氏族が移住して創建したと推定され、古墳時代あるいはそれ以前ではないかとも。当地は和名抄にみえる但馬国美含郡竹野〔多加乃〕郷に比定されています。

 

『但馬故事記』『但馬神社系譜伝』には、白鳳14年(674or685)に竹野浜成(竹野別氏族の人)が竹野別命を河島山に祀ったのが創祀とあります。

前述の通り、元は竹野浜と賀嶋の接合点に鎮座していたという伝承があり、この河島山とは賀嶋のことを指すかと思われます。

 

延喜式神名帳にみえる「但馬国美含郡 鷹野神社」は当社に比定されています。

 

万治3年(1660)社殿から失火し、社殿はもとより竹野部落が焼失。

天明年間(1781~89)にも社殿焼失との伝承あり。

 

明治6年郷社に列し、同36年村社三柱神社・荒神社を合祀。

 

現祭神は、主祭神に武甕槌神、相殿に天穂日命、天満大自在天神(菅原道眞公)。

『鷹野神社々伝』(享保20年)は大己貴命、天穂日命、天満宮とします。

 

『但馬神社系譜伝』は当芸志毘古命(懿徳天皇第2皇子で多遅麻之竹別の祖)、竹野別命(春野命、当芸志毘古命12世孫)を祭神とします。

 

『神祇志料』『但馬考』は但馬国造竹野君等の祖彦坐王を祭る、とします。

『式内社調査報告』は「彦坐王の四世孫大多牟坂王は、多遅摩国造の祖(当芸志比古命)といわれる」と注釈を入れています。

しかし、当芸志比古命は懿徳天皇の皇子とされるので、大多牟坂王と同一視はできませんし、多遅麻之竹別の祖とされてはいますが、多遅摩国造の祖とはされていません。

但遅麻国造については、『先代旧事本紀』の国造本紀に、竹野君と同祖で彦坐王五世孫の船穂足尼が但遅麻国造に任じられた旨が記されています。

従い、竹野君=但遅麻国造とするのは違うように思えるのですが、そういう説もあるでしょうか。

 

『式内社調査報告』は、本来の祭神を竹野別氏族の祖だとみていますが、『平成祭データ』によると「祖神を氏神としないで、天孫神族の代表として武甕槌神を氏神として鎮祭したという伝承もある」とのこと。

御朱印

御朱印はあります。

ネットに拝受情報あり。本務社のようなので、おそらくお近くにお住まいかと思われます。

アクセス

豊岡から国道178号を西へ向かい、竹野町森本(江野トンネル出た先、分岐点)で国道を下ります。そこから県道1号を北上。1号は11号との交点(位置)で終わるのですが、そこからさらに500mほど直進すると神社前に出ます。

あるいは城崎温泉から県道9号や11号で竹野浜まで。

 

駐車場はありません(参道脇の駐車場は契約駐車場)。神社周辺の道は狭いので路駐は厳しいと思います。

近くに竹野浜の中央駐車場(たけの観光協会管理)がありますが、海水浴シーズンは価格設定が超強気の軽・普通:2000円、二輪:1000円(2020年時点。同じく観光協会管理の五社・今後谷駐車場も同額)。

周辺にはもう少し安い個人経営の駐車場もあるようですが、海水浴期間以外やっているのか不明。

 

中央駐車場については、私の行った2017年5月は無料で停められましたが、2020年時点では海水浴期間以外乗入不可とのこと(竹野浜海水浴場の公式サイトによる)。

ただ、オフシーズンの観光客を見込んでいないはずはなく、たけの観光協会のサイトにあるトレッキングマップや路地裏マップには特に注記もなく有料駐車場の場所にP表記があるので、実際の扱いは不明。たけの観光協会に聞くのが確実だと思います。

 

電車で竹野駅まで行き歩くのがベストかもしれません。距離は1kmちょい。

神社概要

社名鷹野神社(たかのじんじゃ)
通称
旧称

加嶋宮天神

浜坂天神

浜の天神

住所兵庫県豊岡市竹野町竹野字馬場町84-1
祭神

武甕槌神

現祭神

当芸志毘古命

竹野別命(春野命)

『但馬故事記』

彦坐王

『神祇志料』

『但馬考』

大己貴命

天穂日命

天満宮

『鷹野神社々伝』
相殿

天穂日命

天満大自在天神(菅原道真公)

合祀

須佐之男命

建御雷命

伊波比主命

五男三女神

社格等

式内社 但馬国美含郡 鷹野神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考旧地は竹野浜と賀嶋の接合点あたりとされる

参考文献

  • 「竹野村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「鷹野神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十九巻 山陰道2』皇學館大学出版部, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 387コマ