今年もふるさと納税の季節になった。情報弱者な僕は、おととしまでふるさと納税やってなかった。どうせ経団連か電通の陰謀に違いないと思っていた。しかし去年、奥さんが「和牛とうなぎ超食いてえ」ってことで、僕の利用枠も総動員してふるさと納税したのだった。確かそれによって佐賀県のどこかとシブシシシブシチョウシブシが僕のふるさとになった。
届いた名産品はどれも美味しかった。そのくせ今住んでるところへの納税がいくらか控除され、まるっと計算するとオトクだという。検算してないからほんとかどうかわからないけど。ふるさと納税はんぱねえ。
確定申告のあの煩雑な手続きさえも、ワンストップなんとかをすれば省ける。
で今年もフル活用することに。今年は奥さんと二人でできる限りふるさとに納税する。そのみかえりとして早速昨日、いくらが届いた。ひさびさにいくらを食べたが、プリン体が怖い、けど超おいしい。

ふるさと納税の仕組みを考えた人はほんと偉いと思う。「富の再分配」と言うと怒る人がいるからそうは表現できないんだろうけど、つまりそういうことじゃないか。言うてもこの国の構造的な問題が、こうでもしないと解決しない(それでも解決できない)難しさなのかなあと感じざるを得ない。この国は少子化、高齢化、豪雨、地震、津波で滅びることが容易に想像つく。しかも童謡赤とんぼが似合う地方の田舎から消えていくのだろう。そんな寂しくも仕方ない宿命に少しでも抗わんと寄付する1万円は、はたして何に使われるのだろうか、美味しいものが戴けるのなら別になんでもいいけど。

民間企業だったら、採算の合わない店舗は閉鎖する。採算のあわない地方の限界田舎もまた、整理してしまうのも合理的なのではないか。赤とんぼが似合う田舎の山間に細々とひとりで暮らす年寄りたちを説得して、都市の老人ホームにかき集める。行政サービスも電気水道ガスもストップ。在りし日の風景はVRに保存しておいて、ふるさとを懐かしみたい人はヘッドセットをかぶってそれを見ればよい。
誰もいなくなった集落は放棄するのももったいないので、中国とかなら高値で買ってくれるのではないか。あるいはアメリカに売って米軍基地にする。ふるさとが無くなって外国人に乗っ取られることになるのは心苦しいかもしれないけど、しょうがない、お金も人もないんだから。それが嫌なら、ふるさと納税。