季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

旧態依然?

2020年09月11日 | 音楽

先ごろひょんなことから試聴した何人かの演奏は、、、酷かった。

旧態依然を打破するのか新しい価値観だか僕は知らないが説明してみると次のような感じだ。

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」の新訳が出たとしよう。


われわれの本性は、怠惰へ傾いている。だが、われわれは活動へと心を励ます限り、その活動の真の悦びを感ずる。

旧来の訳のひとつである。
 
新訳では

俺たちゃ怠けるように出来てるのよ。けどよう、なんかしようと思ってるとよう、こりゃ面白えなって思うもんだわな。

これを新しい価値観とか言うのはちと難しかろう。僕が聴いた「現代風」演奏の印象はこんな新訳を読まされたのに似ている。

そういうものを新しい風であると持ち上げるのは難しい。

ベートーヴェンもショパンも詰まらない、何の興味もない、そういう人に対し何かを感じるだろうか?

そうした率直な感想に対しては意見などの持ちようはないではないか。

しかしそれらの作曲家のふんどしで相撲を取っている人にとって宿主が枯れたら生きる術はない。それを思いもしない楽天家なのだろうか。

昔ホフヌング音楽祭という音楽パロディがあった。心から笑えたのも本家が堅牢さを示せていたからなのだ。

こちらの方が楽しいではないかとは誰も思っていなかった。

以前にも書いたのだが、クラシックの曲の多くは美しい音で演奏されない限り大して面白くないのである。僕が堅牢などと言ったのはそんな事なのだ。

歌舞伎で単に男が女の格好をして誰が見るだろう。

宝塚でも女の子がズボンを履いて付け髭したところで誰も憧れまい。

何ならこうしたことをも堅牢な世界と言っても良い。


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