ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

しらさぎ(白鷺)と「おおとり」神社の考察

2020-03-29 00:03:38 | 草・木・花 風に吹かれて

しらさぎ(白鷺)と「おおとり」神社の考察


これは不思議な話だが、「しらさぎ」という名の鳥は、いないんだそうです。
では、実際の名前は」?・日本では、全身が白色の「ダイサギ・チュウサギ・コサギ」をいうのだそうで、「白い鷺」の総称・俗称を「しらさぎ」というのだそうです。
この「しらさぎ」が、近くの公園の沼(池?)に居座っています。
気品があるので、群がるカルガモの中で、女王然として君臨しているがごとく・・・

 

白い鳥の伝承・・

「おおとり」神社というのがあります。
そうです。「酉の市」で有名な、あの神社のことです。


「おおとり神社」の総本社は、東日本では鷲宮神社になります。鷲宮神社は 関東最古の大社・お酉様の本社(久喜市鷲宮鎮座)です。アニメ「らき☆すた」でも有名。
東日本では- - - ・と制限を付けたからには、西日本にも「本社」と言われる神社がありそうです。
「大鳥大社」です。大鳥大社は、堺市西区鳳北町にある神社。全国の大鳥神社および大鳥信仰の総本社とされる。


この二つの「おおとり」神社に共通することは、「そこに陵を造り皆が嘆き悲しんでいると、日本武尊の御霊が白鳥となり陵から飛び立った」という伝承です。「おおとり」は、この日本武尊の白鳥が由来だ」と由緒には堂々と書かれています。このことを素直に読めば、「おおとり」と白鳥は、同じ鳥であり違和感がありません。


日本武尊がいつ頃の時代か」というと、西暦72年(景行2年)影行天皇の第二皇子として生まれ、景行42年に死去したとあり、これは西暦112年にあたり、齢40歳で死去」ということになります。


道草・・


「そこに陵を造り」とあります。恐らくこの陵は「墳墓」のことと思われます。墳墓の造成に携わった氏族に「土師氏」があります。土師氏は、高貴な人の死後に、寂しがらないように、「埴輪」も作ります。古墳から、埴輪が出土されるのはそのためです。古墳時代に、祭祀を司どる「土師氏」は相当の権力を持っていたようですが、前方後円墳、円墳の時代を経て、古墳時代は終焉します。土師氏は、古墳の技術や伴う科学的知識の生かしながら朝廷の官僚に転出していきます。この朝廷に転出して官僚になった氏族は、最初は「中臣」を、次に「藤原氏」と名乗ります。大鳥連祖神は、此の和泉国に栄えた神別である大中臣と祖先を一にする大鳥氏であり、祭祀として残った氏族は、土師氏とか大鳥しとかを名乗ったようです。 ---・例:中臣鎌足、藤原不比等など
・大鳥連祖神 --・ おおとりのむらじおやがみ」と読みます。


もとに・


「おおとり」神社の祭神は、1:日本武尊、2:大鳥連祖神 であることがわかります。
では、「おおとり」神社に宛がわれた文字を見てみましょう・


 1:大鳥神社、大鳥大社
 2:鷲神社:おおとりじんじゃ」
 3:鷲神社:わじじんじゃ」
 4:鷲宮神社:わしのみやじんじゃ
 5:日鷲神社:ひわしじんじゃ
 6:大鷲神社:おおとりじんじゃ
 7:天日鷲神社:あめのひわしじんじゃ
 8:鷲大神社と鷲大神


この場合、伝承/逸話から、「おおとり」:大鳥が本来だと断定できます。
当て字に、大鳥、鷲に選んだのであり、後の仕業であることが見て取れます。

ここで注目したいのは、「鷲」の字です。
あるいは、以前は、「鷲」の意味が”大きな鳥”のことで、「白い」鳥も含まれていたのかもしれない。

その以前がいつ頃なのか、は不詳であり、「タカ」科の大形鳥のことを「鷲」と、後日に特定していって今日に至っている。
今日的意味の「鷲」を意識してから、逆に「鷲」神社の名付けを見ると違和感を覚えるのだろう」と思います。

 

 


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