「笑顔」で生きることが亡くなった人への何よりのご供養です。~永遠の旅立ちを「見送る」ということ | 普門院だより~アメブロ版~

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皆様、またしても、ご無沙汰している中にはや春のお彼岸となりました。
 
 いかがお過ごしでしょうか?
 
 当院でも今朝はいつものようにお霊具膳の準備をしたりと慌ただしく過ごしました。
 
 今日はお彼岸ということで、ご先祖様の墓参に行かれた方も多いと思います。
 
 彼岸にちなんで、「見送る」と「生きる」ということについて考えてみたいと思います。
 
 見送るというのは、単に出掛ける人を見送るというだけではありません。
 
 お葬式では、「亡くなられた方に永遠のお別れをする」という意味で使います。
 
 しかし、どれだけ大切な愛する人を失ったとしても、また残された人は「生きて」ゆかなければなりません。
 
 そのことで、つい最近、考えたことがあります。
 
 私の母は高齢になります。正直、いつ何があってもおかしくはない年齢です。
 
 その母がこんなことを言うのです。
 
 ー私がいなくなっても、泣いて暮らさんでよ、笑って愉しく過ごしてよ。
 
 子の立場としては、こんな台詞を言われると余計に辛くなりますが、、、
 
 私の言いたいのは、そこではありません。
 
 大切な人を見送る方も辛いけれど、また大切な人を残してゆく人も辛いのだと
 
 初めて「去る人」の気持ちというか想いについて考えた瞬間でした。
 
 もうかなり前ですが、当院の会館でご葬儀をなさった檀家様が亡くなられたお父様の出棺の際、
 
ーいってらっしゃい。
 
 と、残ったご遺族の方が声を揃えて見送って差し上げたのが印象に残っています。
 
 私は声を聞いただけですので、そのとき、ご遺族様がどのような表情をなさっていたのかは判りません。
 
 しかし、少なくとも声だけは明るく、周囲に響くほど大きなものでした。
 
 大切な人を失った時、辛いのは当たり前のことです。
 
 でも、いつまでも哀しみに浸っていて、それこそ生きている人が生きているのか死んでいるのか
 
 判らないような日々を送っていたとしたらー。
 
 大切な人を残して旅立った方は、残した人のことが心配で天国にも行けないのではないでしょうか。
 
 私はまだ十代で父を亡くしました。急な事故でした。
 
 父の死後、哀しみと絶望にばかり浸って過ごしていましたが、今、大人になって振り返ると、
 
 たとえ辛くとも絶望に浸りきってばかりおらず、前を向いて進もうとする努力をするべきであったと
 
 思います。
 
 もし、最近、大切な人を亡くされたという方がいらっしゃったとしたら、どうぞ、旅立った方の気持ちに
 
 なって考えてみて下さい。
 
 自分がその立場だとしても、きっと残してゆく人がいつまでも哀しみに沈んで過ごしていては
 
 心配でならないでしょう。
 
 本物の笑顔にはなれないとしても、与えられた「生きる」日々の中で
 
 何か小さな歓びや楽しみを見つけて、笑顔で生きていくことこそが
 
 亡くなった方の願いではなかろうかと思います。
 
 ご家族でなくても、可愛がっていたペットとの別れも飼い主にとっては辛いものです。
 
 ペットとの別れについても同じで、可愛がっていたワンちゃんや猫ちゃんはきっと
 
 優しい飼い主さんが笑顔で生きていってくれることを望むでしょう。
 
 今日はお彼岸です。
 
 普段は辛くとも笑顔で過ごしている人も、今日だけは遠く旅立った大切な方の想い出に
 
 心ゆくまで浸ってみるのも良いかもしれませんね。                       合掌