臨済宗南禅寺派圓通寺

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南無阿弥陀仏と禅 Ⅲ

2020-09-01 | Zazen
●作務
禅では祈りと同様に作務(作業労働)をたいせつにする。その原点が古い経典にある。チュッラパンタカとマハーパンタカの逸話である。

祝利は極の意味である。この比丘は鈍かった。ブッダは、掃箒(の偈)を誦(とな)えるように教えた。箒(ほうき)をもって妄(まよい)をはらうようにしよう。掃(掃除)をもって忘をはらうようにしよう。六年間に専心にこれをとなえた。意(こころ)は遂(つい)に解悟した。そうして自らおもって言った。箒は篲(ほうき)。掃は除く。箒は即ち八正道のたとえである。糞は三毒の垢(あか)である。八正道の篲をもって三毒の垢を掃うことである。所謂(いわゆる)掃箒の意味は正(まさ)に此(これ)をいうのだろうか。深く此の理(ことわり)を思えば心は即ち真理を了解できる。阿羅漢の道を得させた。 『分別功徳論五』(現代語訳)

チュッラパンタカとマハーパンタカは兄弟である。二人とも路上で生まれたのでパンタカと呼ぶと経典にある。兄のマハーパンタカは聡明であったが、弟のチュッラパンタカは愚鈍であった。兄に誘われて仏陀の弟子になったのだが、三か月たっても短いお経すらおぼえることができなかった。チュッラが仏陀にいとまごいを申し出たら「箒をもってこの偈(短いお経)をとなえなさい」と指導された。チュッラはまじめに6年間箒をもってこの偈を唱え、ついに悟りが開けた。その後二人とも十六羅漢に列せられた。

ある日、仏陀はチュッラパンタカに500人の尼僧たちに説法をする任に当たらせた。尼僧たちはそれを聞いて先ず笑った。そうして彼が来たら彼が仏陀から教えられたという短い偈をみんなで唱え、彼が何も言うことができないようにしようと申し合わせた。
そのときが来た。尼僧たちは顔を見合わせて笑った。
チュッラパンタカは高座に昇ってこのように言った。
 「私は愚鈍で無才であります。出家者となってわずかに短い一偈だけ覚えただけです。今からその意を述べるので静かに聴いてほしい」と。
 そのとき若い尼僧がその偈を口に出していおうとすると、その舌が縮んで一言もいうことができなかった。彼女はそのことを大いに恐れて、自ら懺悔した。 参考『龍谷仏教大辞典』

 ここで注目すべきことは「短い一偈を六年間となえた」という点である。これを禅では「拈提」あるいは「拈得」という。臨済宗の道場では修行者は師家より公案(禅の問題)をもらい、坐禅中はもちろんのこと、掃除をするとき入浴中など一日中これを首からぶら下げたようにする。そうすることによって自己の鍛錬につながっていくのである。
 チュッラパンタカの「六年間、箒をもって一偈を唱えた」というのは臨済禅の拈提とまったく同じである。そのように禅における作務は、祈りと同様に重んじられる。もちろん掃除はみなさんに気持ちよく参詣していただくためであることは申すまでもない。

●趙州和尚と阿弥陀仏
因みに僧あり、趙州に問う、
「如何なるか是れ諸仏の師」
州曰わく
「阿弥陀仏」
(禅宗の人は、この阿弥陀仏を、普通の阿弥陀仏、解しているかもしれぬが、あるいはこれは今でも中国の僧侶間にとりかわされる、出会いの挨拶語であったかもしれぬ。われわれが、「お早う」といったり、We geht’s Ihnen? とか、How do you do? とかいうのにあたるかもしれぬ。そう解して、日常語が直ちに諸仏の師と転ずると見てもよい)鈴木大拙『禅とは何か』春秋社P.236

前に述べたが、友人がベトナムの僧侶に「悟りとは何か」と尋ねたら「南無阿弥陀仏」とこたえた。彼らは手紙の最後に「南無阿弥陀仏」と書き添える。ベトナムでは今でも生活の中の南無阿弥陀仏である。ちなみにベトナム仏教は中国系の大乗仏教で、とりわけ臨済宗との関係が深い。
理屈ではないのが禅であるので「諸仏の師」を頭で考えてはいけない。即答できなければいけないのではないか。
久留米寺町のある禅宗の住職さんが檀家さんに「南無阿弥陀仏でいいですか」と尋ねられた。住職さんは「いいですよ」と答えたそうだ。その理由は「自分の内側から出てきた南無阿弥陀仏だからそれでいい」とのこと。自分の内側から出てきた南無阿弥陀仏とはいい言葉である。

●阿弥陀仏の四十八願
阿弥陀仏が過去世に法蔵菩薩であったときにたてた願をこのように呼ぶ。その全部を記さないが、大乗仏教のたいせつなところを見てみたい。

第18願:一切の生あるものが至心に安楽して私の浄土に生まれようと欲し、わずか十声の念仏でも唱えた人を救えないならば、仏とはならない。

これを「念仏往生願」と呼び、親鸞はこれをもっともたいせつな教えとしたので「王本願」と呼ばれる。日本の浄土宗でも南無阿弥陀仏を十辺となえる。
先年、モスクワで禅講座を開いた。楽屋に訪ねてきたある青年が私に言った。「わたしは必ず悟りを開く」と。
すごい意気込みだった。彼はモスクワで日本人の禅マスターに禅指導をうけているという。阿弥陀の第18願とはいかないまでも行き過ぎはよくない。ゆっくり進むのが禅の道である。



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