臨済宗南禅寺派圓通寺

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作務

2020-06-11 | 坐禅研修


◯作務

中国に仏教が伝わったのは2世紀ごろです。中国仏教はインドからの経典を翻訳することが中心でしたが、禅宗が独立した寺をもつようになり弟子たちの数が多くなると、彼らはインドのように信者さんたちのまかないだけで生活をすることは困難になりました。特に禅宗の僧侶たちは荒れ地を開墾し、農作業をするようになりました。粟や麦を植え、収穫し、脱穀して粉に引き、調理するという作業が必要になり現実主義へと変化しました。

作務という言葉が初めて見えるのは六祖慧能(638~713)の語録『六祖檀経』です。そのころになると禅宗において作務は、修行としての大切な教義として発展しました。

慧能は五祖法演禅師のもとで坐禅修行をしたのではありません。数百人の修行僧をまかなうために毎日、納屋で粉ひきをしていました。ある日、法演禅師が後継者を決めるので、修行者はそれぞれ漢詩を作ってもってくるようにと伝えました。ここでは詳しいその内容は省きますが、そのとき慧能の漢詩が認められて後継者に指名されました。慧能は宗教的天才でしょう。ここで大切なのは、坐禅だけが坐禅ではないということです。あえて言うならば、自我を滅して相手と一つになる修行は坐禅だけではなく、作務も同じだということです。

道元禅師が船で唐に渡たったとき、港の市場で日本産のシイタケを買いに来た雲水に出あいました。

道元はその雲水にたずねました。

「あなたはどうしてここにいるのですか。修行者ならどうして寺で参禅しないのですか」と。

雲水は答えました。

 「参禅だけが修行ではない。典座(煮炊き)の仕事も大切な修行である。あなたは禅修行において何が重要か分かっていない」と。

 道元はこのとき大いに反省し、帰国してから修行の規則などを決めるにあたって作務の重要性はもちろんのこと、典座役を重要な役目としました。この伝統は現在も禅の各宗派に受けつがれています。




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