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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

志村けんさんの他界と、コロナの収束

2020年04月02日 | 日々の、あれこれ

まさか、志村けんさんが新型コロナで他界されることになろうとは・・・。

なんだかんだで、助かって、復帰してくれるものだとしか私は考えてなかった。

ちょっと前までブラウン管の中で元気そうだった志村さんが、いきなり亡くなったと言われても・・・すぐには受け入れられないというか、困るというか、他界という現実に私の中で気持ちが結び付かないでいる。

 

私は近年の志村さんにそれほど熱中していたほうではなかったかもしれない。

あ、かといって嫌いだったはずもなく、好感は持っていたので念のため。だいいち、志村さんは嫌いになれるようなキャラの人ではなかった。

ドリフの「8時だヨ」は子供の時に熱中して見ていたが、私が幼少の頃はまだ荒井注さんが元気だったころで、ある時荒井さんから志村さんにバトンタッチしたようにも見え、どちらかというと志村さんはドリフの新入りみたいなイメージを、当時の私は持って見ていた。

 

だが、その後の活躍は目覚ましく、早いスピードで加藤茶さんに並ぶ「ドリフの看板」になっていったように見えていた。ドリフ全体が志村さんの活躍で、新たな高みに登ったと思ったし、実際そうだったと思う。

志村さんの「東村山音頭」「ひげダンス」「からすの勝手でしょ」などのギャグは私もよく知っていたが、そのギャグが一世を風靡した頃は私はテレビそのものをあまり見ていなくて、ややテレビ離れをしていた。

 

また、「バカ殿シリーズ」も「大丈夫だぁ」も私はさほど見ていなかった。

むしろ、そういう番組よりも、色んなバラエティ番組にゲストとして来て、出演者たちとトークする志村さんの姿や、志村さんが後輩芸人たちから受けるリスペクトぶりなどに、志村さんの魅力を感じていたし、超大物なのにあまり偉ぶることがなく、庶民的で親しみやすい点も好きだった。

同時に、日本のお笑い界における志村さんの存在感の大きさも感じていた。

 

今回の訃報を耳にして、改めて志村さんの喪失感を感じてしまった。

ファンの反応を見ていても、本当に幅広い世代から愛されていたことを今更のように実感。

これほど幅広い世代に愛された芸能人は、そうはいないと思う。ほんと、子供からお年寄りまで。

チャンネルを回せば、当たり前のように画面の中にいた志村さんの、新しい映像はもう見ることができないのが信じられない。

なんか・・すぐには現実感を持てないでいる。

本当は・・・まだ生きてるんじゃないか?・・そんな気さえする。

 

 

今思うことは・・これほどの人を失ったのだから、せめてその死を無駄にしないことの大切さ。

彼の残したものに報いるためにも。それが・・一般人が志村さんのためにできることのひとつではないか。

 

新型コロナに対する危機感を持たないで、根拠のない楽観をし、通常通りの生活で能天気に遊ぼうとする人のことが、マスコミでは取り上げられている。

しかも、そういう人たちのことは、海外メディアによって批判的に海外に報道されてもいる。日本人として、恥ずかしい・・。

ただ、危機感がない、、、という意味で、最近はとかく一部の若者たちが槍玉にあげられることが多いが、ことはそう単純ではなく、中高年にもそういう人たちはいる。

なので、危機感のなさのリスクは、すべての世代が受け止めるべき問題だとは思う。

根拠のない楽観は、それはただの願望でしかないのだから。

 

志村さんという、子供からお年寄りまで幅広い世代に愛された偉大なコメディアンの死は、コロナの危機感のない人への生々しい警鐘にならなければいけない。

 

 

新型コロナには、誰もが早く収束してもらいたいだろう。

少しでも早く収束させたいなら、我慢が必要な時期にはちゃんと我慢をするしかない。

そんなにすぐには収束はしないとは思うが、ほうっておけばどんどん収束が遅れるばかり。

可能な限り、外出を控えること。自身が感染する可能性や、誰かに感染させる可能性を抑えるために。

我慢ができなければできないほど、収束は遠のく。

我慢ができない人がいればいるほど、収束は遅れる。

それを把握していないといけないのだろう。

だらだらいつまでも収束しないままでいいのだろうか。

危機感のない人だって、早く収束してもらいたい気持ちは同じはず。

普段と変わらぬ生活や行動をしていて、早く収束するはずがない。

誰かがなんとかしてくれる・・だけでは、早めの収束は出来そうもない。皆で少しづつでもやらなきゃ、らちが明かない。

普段と変わらぬ遊び方をしていたら、いつまでも収束しないと思う。特効薬でもできない限り。

 

そう、今回の新型コロナに関しては、なにぶん新型なだけに、誰も万全の対処法はわからない。

なので、政府が何をやっても、何を指示しても、誰かから文句はでるだろう。

とりあえずわかっているのは、感染しないように、あるいは感染させないように、外出は控えるようにする・・ということ。

 

不要不急という言葉が取りざたされてるが、どうもその表現だと分かりにくい・・・という声を聞く。

まあ、確かに私もそう思う。

私流に考えると、「仕事、通院、生活物資の買いだしなどを除き、特に遊びでの外出は控える」ということなのではないかと思っている。

仮に仕事であっても、それが遊びの要素を含む仕事なら、今は控えるしかない。収束したら行けばいい。

控えられない人は、どうしてもそれを我慢できないのかなあ・・?

 

それが出来ない人には、今の状況下では罰則もやむなしだとも思える。当初は「経済状況の問題もあるので、罰則まではしなくてもいいんじゃないか」と思ってた私だったが、こんな状況になってしまった以上、もう罰則は仕方ないと思う。

ここまで注意喚起されても、守れない人、守らない人はいるわけだからね・・。

我慢ができない人は、罰則がないと中々いなくならない・・・と思う。

もちろん、我慢による経済損失への対策も必要なのだろう。

じゃないと、営業してしまうよ。誰でも生活は抱えてるわけだしね。

 

 

 

大事なことなので、もう一度書いておきたい。

「我慢ができなければできないほど、収束は遠のく。少しでも早く収束させたいなら、我慢する。」

 

なるべく・・少しでも早めに我慢から解放されたい、そのための自粛なのだ。

誰もがコロナの収束を望んでおり、その後の経済的復興をも望んでいる。その時のために。

 

 

ここで、一頃流行った言葉を引っ張り出してきて引用してみたい。

いつ我慢するか? 今でしょ。

 

全ては収束の日のために。

皆で協力して、収束の日を少しづつでも引き寄せていきましょう。

 

 

 

                                栗山ナツさんによる写真ACからの写真                            


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2 コメント

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Unknown (中森勇斗(なかもり・ゆうと))
2020-04-03 08:56:37
志村けんさんの御他界のこと、本当に胸が痛みます。
今はただ黙祷するしかありません。
志村さんの御冥福を、お祈りいたします。

志村けんさんは、台湾などでも、たいそう人気があったらしいですね。
確かに誰からも好かれる人でした。

本当に得がたいひとを無くしました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 ☆善きひとの 笑顔見られぬ 春憂う☆ 中森綺麗
Unknown (だんぞう)
2020-04-03 09:18:33
志村さんが感染して入院した時は、ついに芸能界の大物が感染したか・・・でも、じきに回復されるだろうと私は思ってました。
そしたら、まさか亡くなるとは・・。
入院から亡くなるまで早かったですね。
キツネにつままれたような気分で、喪失感を感じています。

まだまだやれることはたくさんあったでしょうに・・。

今はただただ合掌するのみです・・。


今後、芸人たちのギャグにこう感じることがあるかもしれません。↓

その笑い  過去に志村が  やっていた

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