子供の頃、当時よくつるんでた友人K君と遊んでて。
ある日、いつものように一緒に遊んでたら、K君が「魚がいっぱいいる公園に行こう」と私に切り出した。
彼とは遊ぶ場所が大体いつも似たような場所だったのだろう。なので、たまには違う場所に行ってみたいと思ったのだろう。
ただ、その公園は遠く、行くとなると小学生の私にとっては「ちょっとした冒険」でもあった。
K君がその公園の正式な名前を言わず、「魚がいっぱいいいる公園」という表現を使ったのは、彼はその公園に過去に行ったことがあったのかもしれない。で、行ったうえで、彼の感じた「公園の感想や印象」が「魚がいっぱいる公園」だったのかもしれない。
もしかしたら、単にその公園の噂を誰かに聞き、大体の場所を教わり、「一度行ってみたい」と思っていた可能性もあるが。
でも、そのへんは私にはわからなかった。
とにもかくにも、ちょっとした冒険ではあったので、私もあっさりと同意したのだと思う。
ワクワクしながら。
で、とにもかくにも行ってみた。
着いてみたら、当時の私が住んでた場所からは遠かった印象を持った。
「魚がいっぱいいる公園」という表現には、いつも私が遊んでいた公園とは違う響きを感じたが、その時実際に公園に行って見た光景はほとんど記憶に残ってない。現地で何をしたかも全く覚えていない。
ともかく「魚がいっぱいいる公園」という漠然とした表現と、「K君と冒険気分でとにかく行ってみた」という記憶しかなかった。
先日ふと「その場所を突きとめてみよう」と思い立ち、その公園が正式には何という名前の公園だったのか、位置的にはどこにあったのか、今もあるのか、なぜ「魚がいっぱいる」と表現されたのかを、色んなワードを入力し、「アンド検索」を繰り返し、おぼろげな記憶を頼りに地図でも調べてみて、「あ、多分ここだったのではないか」と思える場所を見つけた。
なにぶん色んな様子が「おぼろげ」な記憶だったので、調べるのは当初苦労した。
見つけてみたら、位置的にも、「魚がいっぱいる」という特徴を考えても、そことしか思えない場所だ。
公園の正式な名前も特定。
もし、それが私とK君が子供の頃にいった公園と違う場所だったとしたら、もうお手上げ。
でも、多分そこだろう。そことしか思えない。
その公園は今も健在で、公園の真ん中に大きな池があり、そこでは利用者が無料で魚釣りができる。
ただし、釣った魚は、再び池に放すことが決められており、利用者は成果よりも「釣り」そのものを楽しむだけだ。
そんな情報をネット上で得て、何十年ぶりに、もう一度行ってみようと私は思った。ぶらっと。
少年時代と今では、私の住む場所は違うが、決断すれば行けないこともない。
他府県にあるわけでもないわけだから。
そこで、意を決し、行ってみた。
↑ けっこう賑わっていた。木々が数多く立っているので、遠くからでもここが公園だとわかった。
道を歩いていたら、町の中なのにやたら木々が並んでいる場所が見えてきて、「あ、あそこかな」と思い歩を早めて近づいてみたら、まさにその公園。
公園に入ってまず目に飛び込んできたのは、池の真ん中にある大きな池。
池は太陽の光を照りかえし、輝いているようにも見えた。それはその日の天気がよかったからでもあったろう。
↑ まぶしい、照り返し。良い天気。ここはさながら、釣りオヤジのオアシスみたいであった。
↑ 中々大きい池だった。池こそが、この公園の主役であり、存在意義でもあるのだろう。
そして、その池のまわりには多数のベンチが設置され、大勢のオヤジたちが釣りにいそしんでいた。
池のまわりを歩きまわってみると、多数あるベンチの一角では、囲碁に興じるオヤジたちもいた。
中々賑わっていた。
公園内の奥まった場所には、普通の公園らしいスペースもあり、そこでは親子連れが遊んでいた。
↑ 釣り好きな人には、たまらない公園かもね。子供の頃、たった一度だけ、ここには来たことがある。だが、それ以来、数十年が経過。
池のほとりには、弁財天様を祀った神社もあった。
↑ この写真じゃわかりにくいが、鳥居の向こうには弁財天様。釣った魚は、リリース・・・それが、この公園のルール。
なぜこういう公園ができたのだろう。また、この公園はどういう公園なのだろう。
そう思い調べてみた。
広さは5800平方メートルで、敷地の3割を池が占めている。どうりて池が広く感じるわけだ。
この池は元々水田灌漑用の貯水池だったらしい。このあたりは大昔は田園風景が広がる農村地帯だったのだろう。それこそ、電車が走るようになる前の時代には。
やがて池は、池を保存することを条件に東京都に寄付され、フナやコイが放流され、釣り堀公園として整備され、今に至る・・・そんな経緯のある公園のようだ。
だから、子供の頃にK君が「魚がいっぱいいる公園」と表現したわけだ。
その言葉に偽りなしなのであろう。
大昔この池の近くに住んでた人たちにとっては、この池は大事な池だったのだろう。じゃなかったら、東京都に寄付される際に、池を保存することを条件にしたりはしなかっただろう。
でも、その条件があったおかげで、この公園は、のどかに釣りができる公園になっているというわけだ。
公園にたたずんでいると、なんとものどかで平和だった。穏やかな空気が流れている気がした。
釣りができる公園なんて、そんなに多くはないと思うし、釣り好きな人には格好の場所なのだろう。
確かに公園ではあるけど、普通のよくある公園とは一味違う、個性のある公園に思えた。
池の周りを歩きながら水面を見ると、水鳥がのどかに水面を移動していた。
↑ 水鳥は人を警戒してる様子はなかった。
この公園を見ながら、私はふと、このあたり一帯が農村地帯だった時代の風景に思いを馳せてみた。
今では周りには民家やら学校やら建物が建ち、道路は舗装されているし、ちょっと歩けば電車も走っている。
でも私が生まれるよりも遥か前の時代では、このへん一帯は農村地帯だったんだなあ・・・などと思うと、ふと空を見上げてしまっていた。
空は、農村地帯だったころのこのあたりの風景も、ずっと見続けていたであろうから。
そんなことを思うと、ミクロな旅気分にもなり、ちょっとした「時の散歩」気分でもあった。
池の近くにはエスニックな喫茶店みたいなレストラン(??)があったので、そこでタイ風のカレーを食べて、私はこの池を後にした。
「この池のこと、K君は覚えているかな。今も「魚がいっぱいいる公園」は健在で、今も魚がいるよ。」・・・などと思いながら。
あなたにも、子供の頃に一度だけ遊びに行ったことがある場所で、今はその場所がどうなっているのか、その場所がどんな過去のあった場所なのか、突き止めてみたい・・・そんなことを考えたことはないだろうか。
しかし実際に、そういう素敵な公園があるのですね。
だんぞうさんも、Kさんも少年時代は、そこで釣りも楽しんだのですか?
意外に見えるでしょうけれど、私も釣りは大好きです。
せっかちだから、魚が食いつく前に釣竿を上げることも多いです(笑)
私にとって、1度しか行ったことがない、「今あの場所は?」やはり釣り場なのです。
私が日本に来る以前、ある国で暮らしていた幼稚園・小学生時代の事です。
ある日、私は友人に誘われ、釣り準備をして、小さな池に行きました。
その池は、「ザリガニ釣りの名所」らしく、面白いようにザリガニが釣れました。
軽く数えても20匹以上♪
そんなにたくさんは飼育は出来ないので、5匹ほどにして家に持ち帰りました。
しかし私が、そのザリガニ池に行ったのは、その日限りでした。
場所も、全く憶えていません。
あれから30年以上の歳月が流れてました。
その池は、今となっては「開発」の名の元に埋められて、家が建っているかもしれません。
だんぞうさんにとっての「少年時代の思い出」が今でも健在であることは、本当に素晴らしいことです。
有名どころでは井の頭公園なんかもそうでしょう。
私は釣りは小学生の頃に、釣り堀で一回やっただけです。
親か親戚に連れて行ってもらったんだと思います。
それだけなので、釣りに関してはあまり語れません。
ザリガニですか。
私はザリガニは、親戚の家の近くの用水路みたいなところでつかまえた覚えがあります。
今にして思えば、池でやってみてもよかったです。
昔はザリガニはいろんなところでとれたような気がしますが、最近はとれる場所が減ってる気がしますね。
やはり、再開発の影響はあるのでしょうね。