東京都・台東区で起きたホームレスの避難所入所拒否問題から、文学の必要性について。 | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

雨宮処凛(あまみや・かりん)さんのブログ記事

 

 

「人はみな「おんなじいのち」と、声を大にして言い続けなければならない社会…。台東区のホームレス受け入れ拒否に思う。」

 

 

またBBCの記事

 

ホームレスの被災者を避難所が拒否、SNSでは賛否 台風19号「ハギビス」

 

を読んでーー

 

台風19号「ハギビス」が日本を通過し、避難勧告が出されているさなか、

東京都台東区の避難所がホームレスの被災者2人の受け入れを拒否していた問題について、

わたしなりに思ったことを書きます。


住民であろうとなかろうと、助けを求めているひとたちに背を向けるなど、

人権侵害もいいところで決して許されるべきではありません。

言うまでもないことです。

 

ところが、一定数のひとがーーごく少数であることを信じますーー


「あなた、住所ないでしょ、住民税納めてないでしょ。ところでこの避難所は住民税で運営している施設なんで。我々の給料ももとはいただいている住民税なんで」


といった論理(理屈と言うべきか)でホームレスの受け入れを拒否した職員を擁護しているようです。

 

「くさくて」「精神疾患のある」ホームレスの人たちには別の避難所を用意するべきだ
「権利を主張するなら義務は果たして」

「隣ですっごい異臭する人と寝れるのかな」

 

などなど。

 

彼らは、人権意識が希薄な点でもちろんアウトなんですが、

公民権や道徳を理解できていない以前に、

人間に対する想像力が退化しているのではないかと思うのです。


たとえば自分が困ったとき、どうでしょう?

 

旅行先など住民票と一致しないところで被災することになるかもしれず、

被災の際に汚水の中を歩いて臭かったり、

なんらかの障害を抱えていたり・・・

それこそホームレスになっていないとも限りません。

志してホームレスになったひとなんていません。

たいていは、不運が重なってホームレスにならざるを得なかった。

 

ともあれ、困っているあなたは、同じことを言われると思うのですが。

「とにかくあなたは対象外です。すみやかにお引き取りください」と。

逃げるところなんて他になくてもです。

これでは遠回しに「あんたは死ねばいいんだよ、困っているなら」と言われているようなものです。

 

本当に困っているひとを目の前にしたとき何をするべきか、

経験・想像したことがないんじゃないか。

こうした人間に対する想像力をはぐくむ機会にも恵まれなかったのではないか。

読書もそんなにしていないのではないか。

 

たとえば


●新約聖書「マタイによる福音書」の第20章 (ぶどう園の主人と労働者の話)

●芥川龍之介の「蜘蛛の糸」

●フローベールの「聖ジュリアン伝」

 

なども読んでいないのではないか。

 

読んでいても、

 

「これで国語の試験もばっちりだ」

「公務員試験に受かる程度の一般教養がついた」

「芥川もフローベールも、新約聖書まで読んだんだと世間に向かって堂々と言える」

 

くらいにしか思っていなかったのではないか。

 

もちろん、文学が道徳的でなければならないわけではありません。

芸術が担保すべきは自由であって道徳ではありません。

しかし、道徳的な文学というのは確かにありますし、それどころか、

古今の名作で道徳と向き合っていない作品を探すのは難しいのではないでしょうか。

 

あらためて、

人間になぜ文学が必要なのか、文学の持つ力とは何かについて、

思いをめぐらせた次第です。


おまけ:【マタイによる福音書 第20章より】(ぶどう園の主人と労働者の話)
http://www.ginza-church.com/bell/ito3_2.html