吉川隆弘さんのモーツアルト名曲集のCDを聴きました 〜本来のコンソメスープのようなモーツアルト〜 | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

吉川隆弘さんが演奏する、モーツアルト名曲集のCDを聴きました。

ネットからでも購入できます。

 

【曲目】
モーツァルト:

 

●ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 KV 310 (300d)
I ALLEGRO MAESTOSO (9'27")
II ANDANTE CANTABILE CON ESPRESSIONE (9'17")
III PRESTO (3'05")


●ロンド ニ長調 KV 485 (6'48")


●ロンド イ短調 KV 511 (10'12")


●ピアノ・ソナタ第15番 へ長調 KV 533/494
I ALLEGRO (10'10")
II ANDANTE (11'03")
III RONDO - ALLEGRETTO (5'36")


【演奏】
吉川隆弘(ピアノ)

【録音】
2015-2016年Studio Pianoforte、ピアノ:Steinway&sons C-227 n. 584042

 

 

いきなり、「吉川節」に打たれました。

 

イ短調ソナタ(K.310)の第1楽章のはじめの4小節で

「あれあれっ!?」と驚きました。

 

右手と左手がずれている感じがしたのです。

録音の不備? と一瞬焦ったくらい。

 

何度か冒頭部を聴き直して分かったのですが、

右手と左手がずれている感じがしたのは(実際はもちろんずれていません)、

ピアノの打鍵の強弱を利用して、グルーヴ感を出していたから。

 

グルーヴ感のあるイ短調ソナタなんて聴いたことがありません。

わたしが思わず椅子から身を乗り出したのも、無理はなかったのです。

 

テンポもアーティキュレーション(奏法)も独創的で、

これだけスラーを排除する一方で(貴族的を通り越し、ほとんど神経症的な節度と慎ましさをもって)、たとえばアルペジオの構成音を一つ一つはっきりと聴かせる演奏は、他にはないのではないでしょうか?

 

新しい聴覚体験でした。

「こんなモーツアルトは、はじめて」ーーあるいは「モーツアルトが吉川隆弘さんだったら、こう弾くだろうな」という感じです。

 

吉川さんは

 

「2つの現代性の表現=『新しいモーツアルト像』の構築」

 

を狙っていたように思います。

 

(1)モーツアルトが作曲し生きた当時を追体験しようとしたのではないでしょうか。

 

モーツアルトの生きた18世紀後半、ピアノはまだ登場しておらず、

その前身のフォルテピアノやチェンバロ(ハープシコード)の時代で、

たとえば装飾音を多用しないと曲の抑揚をつけられませんでした。

ペダルもなかった。

吉川さんはいろいろなことができる現代のピアノで、

フォルテピアノやチェンバロのような響きをあえて作ろうとしているところがあります。

将棋で、平手なのに飛車と角をあえて使わないで勝負に勝ってしまうような。

その結果、逆説的ながら、かえって現代的な解釈として聞こえます。

 

(2)通俗的なモーツアルト『らしい』アプローチから用心深く距離をおき、楽譜にどこまでも忠実に演奏されたのではないでしょうか。

 

「モーツアルトはオペラのひとーー声楽や劇場音楽のひとだから、歌うように、歌ごころをもって」「モーツアルト『らしく』、またウィーン古典派の作曲家『らしく』、優美かつ流麗に演奏する」といった媚態とは無縁です。

ウィーン古典派の様式やモーツアルトの書法を、自発的に研究されているからこそでしょう。

自発的に研究できなければ、権威筋の解釈や「前例」にならうしかありませんから。

 

通俗的な「らしさ」の代わりにあるのは、たとえば60分の歌のレッスンなどで教わる即席で皮相ではない、本物の自立した「歌ごころ」です。

一流の演奏、一流の歌唱に触れられる環境にいなければ会得できないであろう「歌ごころ」です。

モーツアルトもシューベルトもヴォルフも、当人の天才に加えて、

一流の音楽的環境ーーウィーンという街そのものーーが彼らを育てていったところもあるかと思います。

 

「どこかで聴いたことがある演奏」「●●を彷彿させる演奏」ではないオリジナルな表現は、その本質において、現代的です。

 

ともあれ、オリジナリティがありすぎて、

「こんなのモーツアルトじゃない」と思われる方もいるかもしれません。

 

でも、あらゆるアプローチが許され、そのアプローチに応じて輝くのが、

(音楽に限らず)優れた芸術作品ーー名作・古典ではないでしょうか。

富士山は、どこから眺めても、どう登ってどう降りても、富士山のままなのです。

誰も踏んでいないルートからだからこそ、かえって富士山の新しい魅力が見つかるかもしれません。

 

時間をかけて解釈を練り、何度も試し弾きしたを形跡を感じさせる、完成度の高いCDです。

何日もかけて具材を煮込み、アクや脂を入念に取り除いて作った、単品一皿で3000〜5000円する本物のコンソメスープのように、どこまでも透き通って滋味のあるモーツアルトです。

(市販のブイヨンのキューブをお湯に溶かして作った「なんちゃってコンソメスープ」と一緒にしないように!)

 

おすすめします!