人生の意味

何のために生きるのか

ひきこもりたい40男です。人と関わるのが苦手であり、将来に対しても不安だらけです。こんな自分の生まれてきた意味を日々求めています。 ニート、いじめられっ子、ひきこもりの方々が読んで、「自分だけじゃないんだ」と共感してくれたら幸いです。

やめてみる

このブログに書く記事の内容を考えるのも全くアイデアが浮かばない日々が少なくない。まるで作曲家がどうにかこうにか曲を生み出すように、僕も頭の中ら思索をひねり出している。
しかし、人生の意味の探求っていうのは、そんな作曲家の創作活動と同レベルの作業ではないはずなんだ。



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本当に自殺したい気持ちが確かなら
水も食料も断って
死ぬのが大切だろう。もちろん、それは難しい方法だ。
西べ進が友人に手伝ってもらって自殺したのは、
生前にたいそうなことを論述していたのとは違って
姑息というか情けない・・・

本を読んでると著者が読者へ自分の主張を認めさせようとした内容になっていて、本来の著者の考えた道筋の言語化ではなくなってしまってるのがほとんどだ。
 


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日本がもうすぐ津波に飲み込まれる…

カンちゃんドラ待ちリーチ者が他家二人の好形タメンチャンよりもツモ上がれる場合、そのリーチ者は何故その待ちでリーチしようと思えたのか?何故その待ちにすっぽりドラがやってくるのか?弱肉強食の自然界において弱い者が悪手を打てばその失態を見逃さずに敵に攻められ喰われてしまう、しかし、その自然の摂理に反して、弱い者がぬくぬくしてられる状況は、一種特別な状況であり、原理原則が成り立たない状況なのだ。まるで、夢の中のように。




カンちゃんドラ待ちリーチ者が他家二人の好形タメンチャンよりもツモ上がれる場合、そのリーチ者は何故その待ちでリーチしようと思えたのか?何故その待ちにすっぽりドラがやってくるのか?弱肉強食の自然界において弱い者が悪手を打てばその失態を見逃さずに敵に攻められ喰われてしまう、しかし、その自然の摂理に反して、弱い者がぬくぬくしてられる状況は、一種特別な状況であり、原理原則が成り立たない状況なのだ。まるで、夢の中のように。

 (そのうちすぐ消す)

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見かけではわからない。



過去の自分や未来の自分を想像するとき一人称視点で認識しているか、それとも三人称視点で認識しているか。


夢の中も同様



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精神が輪廻転生なりで存続し得るのかどうかが大きな課題だ。

転生するのなら、前世の精神の記憶がないように来世の精神が今世の精神の記憶を想起できないだろう、そんな中で同じ精神と言えるような何か今世と来世に共通する何かが存在するだろう。それはきっと性格のようなものだろう。そうすると性格は変わらないものか?いや性格は一生の間でもだんだん変わっていく(ただし、そういう人格の成長が段階的に行われるものだとしたら昨日の自分は同じ自分であると納得できても、30年前の自分が同じ自分であるという証拠や実感はどのようにしたら得られるというのだろうか)。前世の自分と今世の自分が同じ自分だという実感は感じれるのだろうか?



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世界が不条理なのと同じくらい不条理なのが、人の考えだ。
この世界の多くの人の考えも全く合理的でない。ほとんどの人は、まるで炎に飛び込む蛾のよう。ただただ明るい方に向かって盲目的に進もうとしている。
この世界は欠陥だらけ。

そして多くの人々もまるで放し飼いされている鶏のようだ。
maple



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仏陀は人が死後も輪廻転生すると考えた。

僕もそろそろ現実的に対策を考えないといけないだろう、今までは理想論を言ってただけだから。

死後も自分という存在が存続することを想定して、その対策を。
 


世の中には、松本人志のように仕事でも王様のように楽しみ、プライベートでも色々楽しんでる人がいる一方で、

何が楽しくて生きているのか、何も楽しみはなく、ただ辛いだけの日々で、かわいそうな人もいる

何か一つ生きる楽しみがありさえすれば、それだけでいいのではないかと切実に思う


おそらく、ほとんどの日本人は毎日楽しみに身を委ねて生きているのだろう。少しでも何も楽しいことなく茫洋としてる時に『ああ、暇だなあ』と感じるのだろう。暇を楽しみで打ち消すだけの暮らしを送って、毎日毎日、時間を消費してるのだろう。

他の国、とくに貧しい国では、とにかく稼ぎ、とにかく食事にあるつけるのを日々の目標にしてるのだろう。


人はとにかく身体さえ不自由なければ、蚊のように将来や人生の意味など考えることなくただ今を貪り生きるのだろう。


それで良いのだろう。苦難のない人生を送っている人は。

苦難のある人生の人は、このまま人生終えられてたまるか!という強い怨みがあるから、それを胸に頑張るのだ!他のアホを相手にせず。
 

人は精神が変化する。良い方向に変わる人もいれば、悪い方に変わる人もいる。親しい友人や家族であっても、いつ敵対的な関係になるかわからない。イエスはそれを指摘して、家族を捨てて私についてきなさいと人々に出家を勧めた。イエスは神以外には永遠の愛はないとか、仏陀は無常を唱えたりしてる。

国と国と争い

団体と団体の争い

上級国民と上級国民の争い


そして

その下で成されるがままに振り回される国民、貧民、弱者たち


イエスが人々を助けようとしたヒーローなのかどうかわからないが、ヒーローなど存在し得ないことは昨今の社会情勢を見てもうよくわかった。幻滅した。

それよりも自分の為にではない単なる存在すること への探究を…

本能にとっては、個体の生存に大切な脅威を避ける、つまり怖がることしか重要ではないのだ。
だから、誰もいないのに幽霊がいるように見えたり感じさせたりする。
逆に、食べ物が見えたり、美味しそうな匂いがしてきたりといった幻覚は怒ることはまずない。


過去最低

民主主義とか選挙とか、

国とか秩序とか、

神とか正義とか、、


この世には、一見、強く正しく頼もしく人望のある人はいる。そういう人がリーダーとなり皆をまとめる。そのおかげで無駄な争いがなくなり、全体の幸福度が上がる効率の良い社会が作られるわけだ。

しかし、リーダーはあくまで全体を治めるだけ。真の姿はただのゴキブリのような存在かもしれない。食べカスや段ボールなど食べられる物にめざとくありつき、ストレスフルな状況にも逞しく生き残る。


イエスや仏陀も同じだ。



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純粋とは言えない
他人を外見で判断する

しかし3歳までは罪がなく穢れがない

結局、頼んでもいないのに誕生させられたという不条理さを許さないような秩序を作ろうとするのが釈迦の目的なのかもしれない。


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イスラエルとハマス・イランが戦ってたり、それで、イスラエル軍がやりすぎだと国際的な非難があったり、ロシアと戦うウクライナが世界から支援されたり、そういうことに僕は八百長の匂いを感じて、どうでもよく思う。
もっと言えば、日本が中国から攻められても 、兵士として徴兵されても断固拒否するし、占領されても構わない。北朝鮮から攻められても、どこか他の国に避難するだけだ。

釈迦が解いた悟りは、この輪廻転生のこの世界になん度も生まれてくる魂の全ての救済であり、自分だけ無に帰して解脱しても、意味がないことを知っていたンダと思う。
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