嫉妬、差別、偏見、慢心ー少数派を生きる人生ーそれぞれの空の下でー長いです | BBIの絵顔で羽生くん応援ブログ~羽生結弦選手の美しさに打ちのめされながら出会えたキセキに感謝して~

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同じ時を過ごせるキセキ
初めて知る感情、感動
幸せです  
だから…羽生結弦選手と共に走り続けていきます

おはようございます。

お盆ももう終わり。皆さまいかがお過ごしですか?

 

今日は、

ずっと、書きたいなと思っていた事を。

発露しまくりの絵子便です。

 

※羽生君は出てきません。

もしよろしければお付き合いください。

 

そしていつも書いてることなのですがこれは私の個人的な意見なので、賛同していただく必要は、全くありません!!

 

 

 

 

 

先日

自民党の杉田水脈・衆議院議員が月刊誌「新潮45」2018年8月号(新潮社)への寄稿で、

「(LGBTは)子供を作らない、つまり『生産性』がない」などと主張した事が大きな話題を呼びました。

https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/sugita-20180725?utm_term=.ip8vZwbjQ#.myX4279XQ

(この問題をうけての各政治家の反応まとめ↑)

 

 

 

そして

時をほぼ同じくして、

東京医科大学が女性合格者を3割以下に抑えるために、入試における得点を女性にのみ一律に減点して員数調整していたというニュースが2018年8月2日に流れました。

 

 

 

https://www.businessinsider.jp/post-172916

↑山口 一男:シカゴ大学ラルフ・ルイス記念特別社会学教ーはこの記事の結びで

 

今回の事件は、日本が本当に男女の教育や雇用の機会の均等を達成しようとする国なのか、それとも法は単なる飾り物で、実際は女性差別の事実が明確でも容認する国なのかを識別する重大な試金石である。

 

東京医大の女性差別はすでに米、英、カナダなど英文圏を初め世界で広く報道された。

今回の事件の対応に誤れば、いくら政府が「女性の活躍推進」を唱えようと、

国際女性会議を日本で開こうと、「女性活躍推進法」を制定しようと、女性差別のない社会を日本が本気で目指しているなどとは世界中が信じないであろう。

 

と述べています。

 

因みに絵子の旦那さんにこのニュースについて聞いたところ

 

「え?別に何も驚かないけど?

I'm not surprised at all.」

と言ってました。

 

 

 

 

なんだっけな、ちょっとよく覚えてないんだけど、少し前に女性差別に関してのツイートで

 

「子ども産まない女性は価値がない」

っていう差別と

「子ども産むと離職するから女性を雇用しない」

っていう差別と

 

「どっちも女性を差別してるんだけど反対の論理。差別する方も統一して差別して欲しいわ、産んで欲しいの?産まないで欲しいの?どっちなの?言い返す労力が二倍になって疲れる・・。(統一すれば差別して良い訳では勿論ありません)」

 

って書いてあったのを読んでしみじみとそうだよねえ。

と思いました。

 

出産の有無が女性の存在意義とか価値ではないですね。

当たり前すぎて言うのも悲しいけど。

 

ぐるぐる色々考えていたのだけど、私が言葉に出来なかった事をずばっと見事に言い切った人が。

お友達のKUROちゃまのツイートでうなりました。

 

 

これだよね。本当にそう思います。

生殖機能を持った私達人間が、種の保存の為に後世に命を繋いでいくのは本能。

 

けれども理由があって子どもを授からない人もいる、出産できない人も沢山いる、そして「産まない」選択をする人達もいる。

そういう女性達が、「未婚」とか「子どもがいない」というレッテルの元で子どもを産んでいる女性達を支えてくれているのも大きな事実の一つですよね。

 

 

 

ここまでは女性差別についてだけど、ここからは杉田議員の言ったLGBT支援について。

 

杉田議員の発言のひどさに今更私は言及するつもりはないんだけど(もう十分批判されているのだろうから)、

下↓に載せたロバートキャンベルさんの言う様に「この粗末な発言よりも、それが存在する社会について考える事が大事」なんだろうなと思います。

 

私は日本が大好きで、愛しているので、その社会に生きる人間として真剣に受け止めて考え続けて、苦しまなければいけないのだと思っています。

 

私は知らなかったんだけどキャンベルさんはゲイなのですね。(この件を受けてカミングアウトされたのかな?)

同性のパートナーと長年連れ添って日本に住んで来た経験に基づいて記事を書かれています。

 

過剰に誰かを批判する事なく、冷静に暖かな視点で日本人と日本社会を見て描写されていると思いました。

キャンベルさんの文章からあふれ出る知性と人間としての豊かさが、杉田議員の思想の稚拙さと、論理の悲しさを際立たせています。

 

 

 

↑キャンベルさんのブログから引用させて頂きます。

 

 

杉田議員が「支援」と呼ぶものが何か、記事が曖昧で知りようはありませんが、税金の投入ないし減免であるなら、アメリカやカナダ・欧州などの例で分かるように十分に回収できます。

 

同性婚を認めるからといって従来の家族の形に悪影響を及ぼしたり、社会を弱体化させたり、産まれるべき子供の数まで減らす等というデータを見たことはありません。

 

むしろゲイやトランスという人間の核心に関わる大切な側面を覆わせ続けることで、個々が社会との間に持つべき接点を希薄にさせ、文化にとっても、経済にとっても、未来に向かう大きな活力を削がせてしまうのはあまりにももったいないことではないでしょうか。

 

積極的に排除はしないが「触れてほしくない」が日本の常識で「美風」であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます。

 

アンケートにLGBTが「周囲にいない」と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して「いるよ」と言えない社会の仕組みに原因があります。

 

ふつうに、「ここにいる」ことが言える社会になってほしいです。

 

 

 

 

 

「違う」事、そしてそれを恐れる事、多くは無知がそれを招いている、と私は思うのです。

私はゲイの人達に沢山会って来たので、随分「周囲にいない」と答える人とは感覚が違うと思います。

これはただただ、経験の数に起因してると思うのです。

 

 

キャンベルさんは記事の冒頭でこう書いています。

 

衆院議員が性的指向や性自認のことを「趣味みたいなもの」と言うのを聞いて笑ってしまった。習い事のように何かのきっかけで始めたり、途中でやめたりできるもののように聞こえたから。

そして

当事者からすると、むしろ生を貫く芯みたいなものだと捉える人が多いに違いありません。

 

と。

 

 

日本で性において、少数派の人達は「欠陥品」の烙印を押されたように感じて生きている人が多いのでしょうか?

私には想像してみる事しかできません。

 

日本よりずっと法制度も整い、LGBTの概念が受け入れられて、浸透しているであろう、ベルギーでも、私の友達は、ずっと自分のアイデンティティを周囲に打ち明けられず、心のバランスを崩し、長く苦しむことになりました。

 

https://www.huffingtonpost.jp/2016/05/05/belgium-lgbt-pride_n_9853762.html

↑参考記事

世界で二番目に同性婚を認めたベルギー。

■べルギー前首相もゲイを公表、LGBTは「左利き」と同じ個人の特徴

ベルギーでは、政治家にも、カミングアウトしているLGBTが少なくない。前首相エリオ・ディルポ氏は、社会党党首時代に、ゲイであることを公表した。

 

 

ある年のクリスマスに

「もう自分を偽ることは出来ない、僕はゲイだ。」

と彼が書いて送ってきたカードを読んだ時の胸の動悸を、私は今でも鮮やかに覚えているのです。

 

 

こないだ訳したジョニーの記事にもあったけれど、

ジョニーは自分と同じくらい、他の人も変わっていると思って生きてるって言ってたけど、私も本当にそう思うのです。

ジョニーはエキセントリックだけど、目立たず、平凡に生きる人にもその人にしかない、唯一無二の個性があるのですよね。

 

 

そしてジョニーの事を訳したその次のブログ記事でもLGBTについて書きました。

カナダ人のハリウッド女優エレンは日本のLGBTシーンを見て、旅してきてこう言っていました。

 

ゲイであるということは「選択肢」ではない。

怖くて恥ずかしくて、抑圧され傷つけられ、殺されることだってある。

誰が好んでそれを選ぶの?

 

でも人は皆「愛」を知っていてそれを求めている。

自分がそうであるように他の皆もそうだと知っている。

だからきっと同性愛者ではない人にも分かってもらえるはずだ。

 

私はそのブログで感想をこう書きました。

 

今回このドキュメンタリーを見て感じたのはエレンも言っていましたが「大きなパラドックスの存在」です。

日本は性に寛容であり、レクリエーション的にその多様性を楽しみ、享受する人々がいて、他方では自身のアイデンティティを恥じて隠して生きる当事者の存在があります。

 

「恥の文化」が強く根付いているこの国で性的マイノリティーの人々が自分らしく生きていけるようになるにはまだまだ時間がかかることでしょう。でも時代が少しずつ動いていることも感じています。

 

私達は生まれる時代を、国を、性別を、境遇を、選べない。

与えられた環境でその運命を受け止めて生きて行くしかない。

 

そして強い立場にいる人は、虐げられている人の苦しみに気付く事はなかなか難しい。

私は自分が日本に生まれ、今何不自由なく生活している事の意味に又深く思いを巡らせたのでした。

 

 

 

 

どんな人にも生れて来たなら生きる権利がある。

そしてその命は尊重されなければ。

 

 

「役に立つ」かそうでないか、どれだけ社会に貢献出来るかが生きる意味なのではない、と私は思っています。

 

 

ベルギーで毎年10万人以上が繰り出し、虹色のカラフルな出で立ちで練り歩くプライド・パレード

 

 

 

ここからは又話が少し変わって・・。

 

私がどうしてこんなに多様である事、違いを重んじる事、そして自分を小さい者と思う事が大事かに思い至る様になったのは、ある重度心身障害の女性との出会いでした。

 

フィリピンのマニラの貧民街で、重度心身障害の孤児達を集めたグループホームでボランティアでアシスタントとして働いていた時、私は彼らがこんなに重たい障害を持って世に生まれて来た理由は何なんだろうとずっと考えていました。

 

そこでは毎夕スコールがやってきて、他の音が一切聞こえなくなるような轟音で、ぼたぼたと大粒の雨がマンゴーやバナナやパパイヤの木の葉を打って弾いて、人も動物も皆一緒に屋根の下へ走るのです。

 

空がひも状にまだらに桃色に染まって、その後大きな太陽が燃えながら沈んでいきました。

 

あるアシスタントは

「(障害のある彼らは)雨が来るのをわかってる」と言っていました。

私は最後までそれを確信するには至りませんでした。

 

そして、どうして彼らがこんなに重たい障害を持って、こんなに貧しい国に生まれて来たのか、それを知りたくてやって来たのに、どんなに考えても結局答えはわかりませんでした。

 

ある日、私はルースという障害のある20歳の彼女と二人きりで個室にいて、食事介助をしていました。

そして今まで誰にも言えなかったことを号泣しながら話して聞いてもらった事がありました。

 

日本語で泣きながら話す私を、彼女は口を動かしながらじっと見ていました。

 

彼女には目に見える大きな重たいハンディがあるけれど、私は外からは見えない大きなハンディを心に持っている。

差別心や、嫉妬心、偏見や慢心・・・

 

彼女は自分で何も出来ないのです、生の全てを他人に依存している。

 

選べるならその人生を選択しないだろう。

生産性の観点からしたら彼女の存在意義はゼロかもしれない。

 

でも生きている。

そして彼女を中心に、私が働いていたグループホームは作られていたのです。

ルースが私に、教科書も、どんな政治家のどんな素晴らしい演説でも教えることの出来ない、本当に大事な事を教えてくれたと思っています。

 

 

マイノリティであるという事は、例えば非常事態に陥った時に一番に排除の対象にされることが多い人達なのだと思います。

障害のある人達

性的マイノリティ

外国人だってそう。

他にも沢山。

 

私は強い人達だけが暮らす社会に生きたいのではない、

苦しんで、悩んで、そして違う人達と共に生きる道を模索できる社会を目指したい。

 

 

 

杉田議員の様な考えを持つ人たちは決していなくなることはないでしょう。

私達が生きる社会に内在する重たい課題を目に見える形でテーブルの上に置いてくれた、という面では価値があったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

さて!

ここまでつらつらと書いてきましたが最後に・・。

 

「普通」

「常識」

「正義」

 

こういうものは、時代や背景、そして個々の捉え方によっていとも簡単に変化するものですよね。

それが生きていると重くのしかかってきて苦しくなることもあるけれど、その枠の外に、魂が震える普遍的な真実も存在している、と言う事を思い出したいな、と思うのです。

 

人間の世界には、どんなに達成しようと思っても出来ない事って必ずあるだろうし、その悲しみとか痛恨さを知るのも、謙虚でいる為に大事な事なのでしょう。

 

矛盾だらけの世に生きる事が、私達に考える力を与え、そして成長させてくれるのだろうし、

私達はそれぞれに重たい荷物を背負って毎日歩いています。

 

そしてその荷物の重さの違いが又、それぞれを個性として輝かせるのでしょう。

 

願わくば、キャンベルさんの言う様に

「それぞれの空の下で、それぞれが「ここにいるよ」と言える」社会に近づかんことを。←日本語あってるのか?

 

 

 

 

 

 

 

よし!

書いた!

ひねり出しまくりまくりすていー!

お読み下さりありがとう!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↓こういう空を、「美しい」と思う事がきっと、いつの時代、誰にとっても変わらない普遍的なものなのだろう、って思っている絵子なのでした。

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愛を込めて。 

絵子