徳丸無明のブログ

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熊から神へ――超越者の系譜

2019-09-17 22:37:33 | 雑文
内田樹と釈徹宗の『聖地巡礼 Continued』(東京書籍)を読んだ。
この本は、思想家の内田と、浄土真宗本願寺派の住職である釈が、日本全国の聖地を巡り、そこで見たもの、感じたこと、考えたことを記録した見聞録の第4弾・対馬編である。その旅程の中で、海神神社の近くの「ヤクマの塔」という古くからある塔に触れ、「ヤクマ」の語源は何か、という話になった時、釈が次のように述べている。


「クマ」は、「籠る」という意味だったりするんですけどね。(中略)また、「クマ」とか「クム」とか、「神」の語源という説もあります。


これには「ああはいはい」というか、すんなりと納得できた。
以前「ららら科学の子――我等が内なる鉄腕アトム」という論考を書いた(2017・7・10~12)。詳しくはそちらを読んでいただきたいのだが、小生はその中で、「恐れ」と「畏れ」は根を同じくする感情であること、人は「恐れ」を感じた相手を畏れ敬わずにはいられないということ、原始社会においては熊のような野生生物こそが人々の恐怖の対象であり、なおかつ畏敬の対象でもあったということを述べた。動物のぬいぐるみの中でも特に熊のそれが人気が高く、かつテディベアという総称まであること、ゆるキャラのくまモンが幅広い世代、数多くの国の人々から愛されているという事実は、「熊」に対する人類の畏敬の念の根深さの表れであるという考察を加えた。
このことと「神の語源」を考え合わせると、歴史的順序としては次のようになるだろう。

まず、現生人類が誕生したころ、あるいはそれ以前の原人や類人猿だったころから、熊は恐怖の対象だった。体は大きく、力は強いため、人類は知略をめぐらせないと熊を退けることができない。
のちに、人類は言語を使うようになる。最初の言葉は、「一対一」対応の単純なものである。石を「いし」と呼び、木を「き」と呼ぶ。熊のことも当然「くま」と呼んでいた。ようするに、実在するモノに名称を与えるだけの、原初の段階である。(動物が鳴き声で危険を知らせたりするような、信号としての言語ならあったかもしれない)
そこからしばらくして、脳機能が高度化し、抽象思考ができるようになる。この段階で「概念」が誕生する。概念は、物理的実体をもたない対象を指示することができるものである。「愛」とか「勇気」とか「希望」とかである。
この概念の獲得によって、「熊」から、「強さ」や「たくましさ」や「荒々しさ」や「崇高さ」といった特徴が抽出される。抽出されたこれらの特徴の総和は、「実体を持たぬ熊」である。熊の特徴を備えていながら、熊ではない。「熊」から分離した「実体を持たぬ熊」。最初はぼんやりとしたイメージでしかなかったであろうこの抽象化された概念は、時間が経つにつれ輪郭が明瞭になりだす。すると人々の間で、これは「熊」とはちがう、という認識が芽生える。この段階において、「神」が生まれる。
さらに、熊以外の存在にも「恐ろしさ」や「崇高さ」を見出した時、そこに「実体を持たぬ熊」(=概念)が貼りつき、新たな「神」になる。この出会いと発見を繰り返して、神は増えていく。
・・・とまあ、こういう流れだったのではないか。
してみると、人類――少なくとも、熊のような野生生物が身近に生息していた環境下にいた人類――の原初の宗教心は、「畏敬」の感情に端を発しているということになるだろう。


〈2019・9・19付追記〉
この記事を投稿した後に思いついたこと。
「クム」というのは、「冬眠中の熊」のことではないだろうか。覚醒して活動している熊と区別するための「クム」。
そして、のちにそれが「籠る」という動詞に転じたのではないか。だとすると、日本神話の天岩戸の物語は、熊の冬眠と覚醒を模して創られた可能性がある。神話的に思考すれば、「春が来たから熊が目覚めた」のではなく、「熊が目覚めたから春が来た」と解釈するのが自然であろうから。
天照大御神は、熊をモデルに創造された、ということだ。


オススメ関連本・橋爪大三郎、大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社現代新書


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