こんにちは
毎日暑いですね~
撮影に出かけられないのは相変わらずなので、今回もこの機会に在庫の野鳥写真をご紹介します。
↓水辺に佇む1羽のハシブトガラスさん。
↓狭い足場?に、足を揃えて置くと、
↓ザブンと水の中に入りました。
↓しばしの間、バシャバシャすると
↓満足気にザバーッと立ち上がりました。
↓あ、すみません、水浴びシーンを撮らせてもらいました。
↓ハシブトガラスさんの のどかな1シーンでした
↓一方、声を掛け合いながら真剣な眼差しで何かをしているオオバンさん。
↓目つきが鋭いですね
↓ジーッと水面を刺すように見つめるオオバンさん
↓ここには無いと思ったのか、体の向きを変えて
↓おっ何か見つけたのか、いそいそと移動すると
↓狙いを定めて
↓ 例のポーズで水の中にお顔を突っ込みました。
↓あっ、何か獲れたみたいですね
↓良く見えなかったので、もう一度。
↓おお!何かネバーッとしたものをくわえていますね。何でしょう?
↓??ピントがクチバシに来ていないので分かりませんね
↓精進しなさいってお顔に見えますね
ヨガの方ですが、何とか続けられています。
「いつか腕が完全に上がるようになるために」とか「いつか痩せるために」とか、
「それっていつよ?」と思えるような、不確定な未来のためのモチベーションは保ち続けられませんでしたが、
ポーズを解いて力を抜いた時の、すぐに実感できる心地良さのためならば、モチベーションを保っていられることが分かりました。
お陰様で、ハンディモップでしか届かなかった棚の上に、右手は届くようになり、久しぶりに濡れ雑巾で拭くことができました
斜め後ろのテーブルに置かれたリモコンを取ろうものなら、悲鳴をあげ、しばしうずくまる程の痛さだったのが、そちらも痛みなく取れるようになりました。
それにどうやら、今この瞬間の体の状態だけを観察して考え事をしないのは、脳も休まって心地良いみたいです。
以前から瞑想に興味を持っていたのですが、その切っ掛けとなったのが、ふと頭の中にいつもあーでもない、こーでもないと分析し話している声があることに気付き、「あー!いつもなんやかんやとうるさーい!」となったためでした。
一時期、里山を歩くのにハマっていた頃がありました。
ちょっと険しい山道を歩いている時は、次に出す足をどこに置けばいいかしか考えないで済むので、それが心地良くて両親を誘って行ったものでした。
その時は、瞑想の存在すら知りませんでしたが、今思えば知らず知らずのうちに行者さんの真似事をしていた感じですね。
それが母の体調不良と共に立ち消えになって何年か経ち、ある日ふと頭の中の声に気付いた訳です。
その声がエゴとかマインドとか思考とか自我とか呼ばれるネガティブでジャッジと分析好きで、不安がらせるのが得意なちょっと厄介な存在だと、その時知りました。
瞑想で声を黙らせたかったんですが、これがなかなか独学だと思う通りにいかないんですね。
でも、その声が大暴れしている時は(何かが気になって、その事ばかりを繰り返し考えてしまう時ですね)考えないようにしようと抑え込むとかえって苦しいので、
「はいはい、そーだね」と、声を拒絶せず受け入れながらヨガを始めると、段々静かになって行きます。
そしていつの間にか、考えなくなっていることに気付きます。
しばらくするとその思考が蘇ってきたりしますが、またヨガでこれを繰り返していくと、実はたいしたことじゃないしどうでもいいという気になって、やっと手放せる感じです。
瞑想だけだと、どうしても考えるか眠ってしまうかで、この流れが難しかったのですが、ヨガをしていると自然とできることに気付きました。
過ぎ去った過去の後悔やまだ見ぬ未来への不安でも、自己否定から起こる欠乏感の穴埋め方法(自分はここが欠落しているからこれをしなくては価値がないと考えること)ではなく、
今この瞬間に意識をフォーカスする心地良さにマインドが満足するからでしょうか。
今自分に起こっていることを、判断や批判なくそのまま認識することをマインドフルネスと言うそうですが、
それにポーズを解いて脱力した心地良さが重なって、より満ち足りた気分になるのかもしれません。
執着を手放せたこの瞬間ですね、「心が整う」というのはこの状態のことなのかもしれないと思えました。
今回はここまでにしておきます。
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ここまでご覧いいただき ありがとうございました