第四部 Generalist in ミシガン大学編

Generalist大学教員.湘南、城東、マヒドン、Harvard MHQSを経て 現在ミシガンで奮闘中

ハザマ内科〜自分のもつハザマなクリニカルセッティングによって変わる〜

2019-08-08 23:20:47 | 総合診療

皆さま こんにちわ。最近は、本当にバタバタとまな板の上の暴れ魚のようにただ空虚に跳ねております。とはいえ、少しずつですがやるべきことも前進しているので夏の間に勝負をかけたいです。

さて、夏といえばJ-COSMO8月がついに出ました!

Special topicとして、「ハザマ内科」という新しいネーミングと提案を議論に議論を重ねて皆で新しいものを考える勢いで頑張っています。

最初は、このボリュームと色々なところに話が飛ぶ感じに驚かれた感想も聞きますが、ここに来て嬉しい感想が多数聞かれ、やはり隣の診療科のエッセンスをこそっり、サクッと学べることはベテラン指導医であれば誰しも欲しいものなのだぁと感じます。

だって、中々聞けないですもん(僕は無専門医を誇りに思っていますので聞きまくりますが・・笑)

 

というわけで、今月の僕のパートの第一原案の方の意見をチラッとこちらへ

●我思うハザマ内科

最近は医学の歴史を勉強して、感得した内容があります。そう元来内科は元々一つでありました。いやそもそも内科だけではなく、医学は一つであったはずです。ハザマ内科を語る時に、私はいつも日本の西洋医学の発展が頭に浮かびます。みなさまも考えてみてください、明治維新後の日本は医学の指導を託す先進国の選定を必死で行ないましたよね。結果的に、日本は当時最先端の実験基礎医学であるドイツ医学を模範とすべき医学像として輸入するに至りました。一方で、当時の米国や英国は実験基礎医学はドイツより少し遅れていましたが他に優れた側面である病院医学(clinical/ hospital medicine)を持っていました。それらの今で言う臨床医学的な源流のようなものは一定の期間、我が国は戦後まで距離を置くに至るわけです(だって敵国ですもの)。こうして長い間、我が国の医学の評価尺度は実験基礎医学が非常に重要視されてきました。必然的に医学部の教育は、実験基礎医学が主なものになりますので診断学や臨床推論、疫学や臨床統計などのことはあまり習う機会はありませんでした。私の経験でもそうでありました。それで、最近感動したことに、実は海外の大学院で同期であったロシア人やポーランド人の医師も全くそうであるとのことで。また、当たり前ですがドイツ人の医師も全くそうであるとのこと。あまりにも日本と似ていて感動レベルなのです。何が言いたいかと言いますと、科学は本質的に細分化し、いわゆる誰も未到達の細かい領域に行けば行くほど専門化することが可能であるために、必然的に内科は解剖学的に、生理学的に、病理学的に容易に分断されます。内科が分断されると言っても患者が分断されるわけではありませんので、臓器のみを診るということが当たり前の診療のベクトルになります。ハザマ内科とは、明らかにクリアにかつロジカルに説明と分類ができる一つの疾患であれば発生しない問題です。しかし、例えば喘鳴(喘息、心不全、肺炎、COPD)のように、ベン図を書いた場合複合的にオーバラップしてしまうと複数の臓器にまたがってしまうために、単一的ベクトルの見方では評価が難しくなってしまいます。こうして、我々のハザマは生まれます。

●“ハザマ”はクリニカルセッティングによって変わる。いや、変えるべき。

このようなハザマ内科は色々な問題を起こしやすいのですね。例えば、私のいる大学病院などではハザマは本質的にコンフリクトを起こしやすいと言えます。それは、非常に高いレベルで専門的医療を提供しようとすればするほど、ハザマは厄介になるからです。時に慣れていない領域の病態が混入してくることがあれば、不安も強く、何より時間を取られるために本来の行うべき診療が出来なくなってしまう可能性が高まります。では中規模の病院ではいかがでしょうか?自分の経験でも一人で全科当直を行い、初診の外来は診療科問わず全て見るなどの必要性が出てくるためにハザマの領域は極めて曖昧にせざるを得ません。この場合はハザマな外的環境(需要など)により規定されうるという視点が、自らの診療スタイルのベクトル以外に必要になります。逆を言えば、流行りの家庭医などのクリニカルセッティングでは本来領域別のハザマが極めて曖昧で見えにくいものとなり、むしろ高次施設へ紹介などの適応を考えるハザマが新しく生まれるかもしれません。このように、ハザマとはクリニカルセッティングで変わるのであります。いや、変えるべきなのです。逆を言えば、自らの診療のベクトルを本来望まれていないクリニカルセッティングでひたすらそれを貫ければ、需要と供給のミスマッチが生じてしまいます

●“ハザマ”に対する姿勢と鳥の目・虫の目

除外が難しいものをなんとか頑張って除外するというExcluding strategy (診断学の観点からはハザマの疾患をハザマであると断定すること)、非常に多額のコストと時間を要します。また志水太郎先生の論文であるようなPivot and cluster戦略から言っても、一つの症候や診断の周囲にある類縁疾患はある程度、ハザマを作らずに診つづけるトレーニングすることが一つの診断や疾患に特化した技を磨くためには効果的であります。

多くの場合、大学病院から地域の病院などで勤務を開始した場合に起きてくるクリニカルセッティングの変化は、ハザマの変化をもたらします。そして、往々にしてストレスフルなコンフリクトを起こしやすくなります。外的環境の変化は、いわゆる個人レベルのベクトル(虫の目)では気づきにくいものです。そこで、自分は今どこに立っていて、このハザマに対して自分はどうすべきであるのか、患者は、周囲は自分に何を望んでいるのか?鳥の目で組織の中にいる自分を俯瞰的に見ることができれば、これまで負担に感じていたハザマが視覚化しやすくなるかもしれません。厄介なハザマの変化に対しては、自らが存在している立ち位置や役割の変化を他覚的に捉えることができるかと言うことがキーポイントであると思うのです。

 

 


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