お久しぶりです、夜心です。

長らくのリニューアルお待たせいたしました。

これからちょくちょく更新していけるよう頑張ります。

さて、今日は私たちの中にいる二人の自分自身についてお話します。

  • 「こんなことも出来ないなんて、なんて私はダメなんだろう。」
  • 「こんな私、大嫌い。」
  • 「こんな私、いなくなってしまえばいいのに。」

等々、どうしても自分を責めてしまう。

そんなあなたに、是非最後までお付き合い願えればなと思います。

大人の私(意識)と子供の私(無意識)

私たちの心の中には、常に二人の自分自身がいます。

それは、俗に意識と無意識と呼ばれるものなのですが、
これが丁度、大人と子供の関係・・特に親と子の関係に似ているのです。

子供というのは大人に比べ、経験が乏しく、
物事への良し悪しが分かっておらず、
判断をせずとりあえず行動する傾向があります。

だから、危ないことも平気でするし、よく怪我もする。

そんな子供の代わりに大人は物事への良し悪しの判断をして、
子供が正しく動けるように導く。

そうやって、子供に経験を積ませ、成長させていきます。

これと同じように、意識は無意識の代わりに物事の良し悪しの判断を下し、
無意識が正しく行動するように先導する働きがあります。

そうやって無意識に経験を積ませて、
正しく行動出来るように成長させていきます。

この類似点から、意識を大人、無意識を子供と置き換えると、
自分の中に二人、自分自身いるということになります。

それが今回のタイトルでもある、

「大人の私」「子供の私」です。

「大人(親)」と「子供」

さて、私たちの中には二人の自分自身、

「大人の私」と「子供の私」

が、いるという話ですが、
それは誰にでも意識と無意識がある以上、
あなたも例外ではありません。

あなたの中には、二人のあなた、
子供のあなたを正しく導こうとする、
大人のあなたが存在します。

その関係は二人ともあなたの中で、
あなたとして存在している以上、
ただの大人と子供の関係ではなく、
親と子の関係に近いものとなります。

そこで、考えて貰いたいのですが、
基本的に子供って親のこと大好きですよね?

よっぽどのことがない限り、子供は親・・・
特に母親のことは大好きだと思います。

子供の頃、お母さんに褒められたくて、
お手伝いをしたりしませんでしたか?

子供の頃、お母さんが笑っているのを見たくて、
なんとか喜ばせようとしたりしませんでしたか?

小さな子供の頃、私たちはお母さんが大好きだったはずです。

ですが、ある時、そんな大好きなお母さんから

  • 「こんなことも出来ないなんて、あなたはダメな子だ!」
  • 「あなたなんて大嫌い!」
  • 「あなたなんていなくなってしまえばいいのに!」

なんて、言われたら、どうでしょう?

もの凄く・・・悲しくなりませんか?

大好きなお母さんに褒められたくて・・・

大好きなお母さんの笑顔が見たくて・・・

頑張っていたのに、なんでそんなこと言うの?

と、泣きたくなるのではないでしょうか?

もしくは凄く怒りたくなりませんか?

それでも、やっぱりお母さんのことが大好きで・・・

それでも、お母さんに褒められたくて・・・

それでも、お母さんに笑ってもらいたくて・・・

どんなに酷い言葉を浴びせられても・・・

お母さんに褒めてもらうために・・・

お母さんに笑ってもらうために・・・

一生懸命頑張る。

でも、それもいつかは限界を迎えて、
ついには心を閉ざしてしまう。

大好きなお母さんを大嫌いにならない為に・・・。

・・・

と、ちょっとポエムじみてしまいましたが、
何故こう言う話をしたかと言うと、

これと同じことを、あなたの中でやっていませんか?

と言うことが、言いたかったのです。

自分自身の中の「大人の私」が「子供の私」を罵倒していないか?

と言うことを考えて見て欲しいのです。

先ほどの話の中に出てきた

  • 「こんなことも出来ないなんて、あなたはダメな子だ!」
  • 「あなたなんて大嫌い!」
  • 「あなたなんていなくなってしまえばいいのに!」

と言う言葉ですが、これはこの記事の一番最初の例に出した、

  • 「こんなことも出来ないなんて、なんて私はダメなんだろう。」
  • 「こんな私、大嫌い。」
  • 「こんな私、いなくなってしまえばいいのに。」

この言葉を親子の会話に置き換えただけです。

どうでしょう?

この言葉は自分自身のことを単に責めているだけではなく、
かなり自分自身に酷いことをしている気がしてきませんか?

「子供の私」は「大人の私」に褒めてもらいたい。

「子供の私」は「大人の私」に笑顔でいてもらいたい。

なのに、「大人の私」から罵倒されれば、

それはもう悲しくなるわけで・・・

それはもうムカついてくるわけで・・・

それでもなお、「大人の私」に褒めてもらいたくて・・・

それでもなお、「大人の私」を笑顔にしたくて・・・

どれだけ「大人の私」に罵倒されても・・・

それでも、「子供の私」は「大人の私」の幸せを願っている。

でもそれもやがては限界を迎え・・・

「子供の私」は大好きな「大人の私」を、
大嫌いにならない為に心を閉ざす・・・

自分で自分を責め続けた時、
このようなことがあなたの中で起こっている。

このことを是非覚えておいてください。

「大人の私」と「子供の私」の和解

さて、ここまで自分自身を責めた時の、
あなたの中での出来事を書いていたわけですが、大事なのは

「今まで自分自身を責めていた私はどうすればいいのさ?」

という話ですよね。

単純な話

「自分を責めるのをやめればいい。」

でも、そんなこと言われたってやめれるもんなら、
もうとっくにやめてるって話ですからね。

なので僕は

「自分自身を責めるのをやめろ。」

とは言いません。

何故なら、自分自身を責めるのか責めないのか、
それを決めるのは僕ではなく、あなた自身なのですから。

ただ、願わくば、僕はあなたの中の
「大人の私」と「子供の私」と和解して欲しい。

その為には、まず、
この記事で話してきた通り、自分自身の中に

「大人の私」と「子供の私」

がいることを知って欲しい。

そうして、自分自身を責めた時、
あなたの中で何が起こっていたのか、
それを知って欲しい。

この二つを知って、どうするかはあなた次第です。

知ってなお、責め続けるのもそれは選択の一つです。

ただ、もしもこの話を聞いて、

「大人の私」と「子供の私」

を和解させてあげたい。

そう感じたのであれば、

「大人の私」から手を差し伸べてあげてください。

散々酷いことを言ってしまったかもしれないけれど、

「酷いこと言ってしまって、ごめんね。」

「大嫌いと言ってしまったけれど、本当は私はあなたのことが大好き。」

と、親が子をあやすように、
自分に語りかけてあげてください。

一度「子供の私」が心を閉ざしてしまうと、
なかなか和解できないかもしれません。

それでも、なお諦めずに手を差し伸べ続けてあげてください。

心を閉ざしてしまっても、「子供の私」が「大人の私」を
大好きなのに代わりはないのですから、
必ず答えてくれる時が来るはずです。

そうやって、和解をしても、時にはまた、
傷つけてしまう時が来るかもしれません。

ですが、あなたの中の「大人の私」と「子供の私」は、
一生この関係のまま、あなたの中で生き続けます。

つまり、あなたの中の「子供の私」は一生「大人の私」のことが大好きです。

なのでその時にはまた、
「大人の私」から手を差しのべてあげてください。

必ず答えてくれることでしょう。

こうして時には喧嘩を、そして和解を繰り返し、

あなたの中の「大人の私」と「子供の私」

双方が手を取り合って歩んでいけることを願っております。

それでは、今日はこの辺で。

もし、よろしければご意見、ご感想お聞かせください。

夜心でした。