9月6日午前3時5分札幌で地震が起きました。

自宅(南区澄川)では未だ停電が続いています。

今は中央区の会社でブログを書いています。

今回の地震で災害に見舞われた方へは心からお見舞い申し上げます。

また、警察や消防、その他災害による復旧活動に当たっている方には心より感謝申し上げます。

 

私は道東出身なので正直地震には慣れています。

多少のことでは驚きません。

でも、自分の家が損壊したり家族に被害があったりしたらもちろん平静ではいられないと思いますが・・・。

 

停電になると自宅はマンションで、水も出なくなりました。

近くの公園へ水を汲みに行って5階まで運ぶ作業にはちょっとばかり疲れますが、基本的には不謹慎かもしれませんが、これも試練と前向きに捉え不自由な生活を楽しんでいる面があります。

 

小学生の頃、吹雪や大雨などで学校が臨時休校になった時に、喜んだ感覚と恐らく同じだと思います。

 

停電などがあり、ロウソクで過ごすことが楽しいと感じていました。

 

妻は、地震を怖がりあれこれと考えを巡らし、ピリピリしているのですが、私は正直そういう態度がうっとうしいと思っていました。

せっかく神様がくれた休みなんだからもっと楽しめばいいのにと思ったりしています。

 

例えば屋外でのキャンプを嫌う人がいます。虫が嫌だとかトイレが汚いとか・・・。

災害と次元はまるで違いますが、私はキャンプは好きな方ですが、このように、人間同じ状況でも捉え方に違いが生じます。

 

どっちが良いとか悪いとかの問題ではありませんが、様々な場面で心配しすぎも楽観しすぎも良く無く、大切な事は冷静に物事を観て判断することだと思います。

 

今日は自宅からしばらく歩いて会社に向かいました。

色々な発見がありました。

停電している商店街では炊き出しをやっているところがありました。

停電していないところの商店街では普通に商売をやっている店もありました。

2件位コンビ二に入ってみたのですが、弁当やカップめんなどの商品はほとんどありませんでした。電池なども全くありません。

炊き出しに並んでいた人には意外と若い人が目立ちました。

今時の若い人は自宅に食料をあまり保管していないのかなと、なんとなく納得しました。

 

今回の地震で特に印象に残ったのは、スマホなどへの依存度の高さです。

自分としては、仕方なくスマホを使っている人間なので、必死になってスマホの充電に走り回る人をある意味冷めた目で見てしまいます。

そこまでして何の情報を得たいのか?

もちろん仕事で必要な方は別ですが・・・。

2、3日自宅から出なければいいだけなのに・・・。

現代人は不便に弱いなと感じます。

 

 

 

私は毎日相続のことを考えているので、つい何でも相続にからめて物事を観てしまいます。

 

災害と死を同じと捉えると、いかに普段の生活で備えをしているかが重要だなと今回改めて思います。

 

その人(家)の相続にはその人(家)に見合う自然な相続の流れがあると思うのです。

 

災害に備える食料の量、大切にしている情報の内容は、相続における財産の大きさであったりその家族の絆の強さであったり、友人知人への恩義の形であったり、正に何度も言うようですが100人居れば100通りの相続の形があります。

 

その相続を形作る役割を担うのが「礼」ではないかと私は思っています。

 

 

長くなりましたのでこの続きは次回にします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

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