昨日、第三土曜日は月一回の寺子屋・こども論語塾の日です。
座禅の後、論語の勉強です。
たまたまですが、昨日は「礼」についての勉強でした。
八佾(はちいつ)第3③
人にして仁ならずんば、礼を如何にせん。
人にして仁ならずんば、楽如何にせん。
簡単に解説しますと、礼儀作法や音楽は心がこもっていなければ役に立たないということです。
何にでも言えることですが、心がこもっていないものは役にたたない。
だから、こころを込めて祈ることが大切なのです。
話は少しそれますが、近江商人は恵飛須さんへのお参りをします。
お参りをするということは、それ以前の準備は万端であることが前提なのです。
準備が万端でなければ、やることをしっかりやっていなければ清々しい気持ちでお参りは出来ません。
神に祈る、仏に祈る意味の本質はここにある、つまり何事も前もって準備万端にすることです。
人事を尽くしての神頼みなのです。
だからこそかなりの高確率で願いが叶う。
恵飛須さんの御利益は、近江商人の礼が作り出すものです。
礼儀作法や音楽も、心を込めて祈る気持ちでやれば必ず相手に伝わります。
前回歩きスマホの話をしました。
SNSなどで、いつでも人とコミュニケーションをとることが出来ます。
しかし、人と人とはどれだけコミュニケーションが必要なのでしょう?
メールなどでのやりとりには、多くの無駄なメールが含まれていないでしょうか?
つまり心を込めた「礼」が伴っているのか・・・。
私は、正直申しまして、フェイスブックやラインは当然として、メールすら煩わしくて仕方ありません。
(何故かブログは好きですが。)
研究者クラスの仕事をしている方には必要だと思いますが、私みたいな凡人にSNSは必要ないような気がします。
一体誰と、どんな話題で繋がる必要があるのかよくわかりません。
豚に真珠、時間の無駄、ただのお遊びになってしまいます。
何かしっかり、大手IT企業の策略に乗せられているような気がします。
この前、久しぶりに「朝まで生テレビ」を少し見ました。
昔はよく見ていたのですが、最近は司会の田原さんの発言を聞いているのが苦痛でほとんど見ていません。
AIのことで論客が話していましたが、どの発言を聞いてもあまり興味が持てませんでした。
というのも、自分はその時の出席者の言うような未来にはならないと思っていて、なんか、かなりの違和感を覚えました。
AIに乗り遅れるなと焚き付けられている気がしました。
今後AIに取って代わられる仕事が例示されていましたが、現実はそう簡単にはならないと思います。
これからテクノロジーは益々進化しますが、その進化したテクノロジーは、益々庶民の手の届かない所へ行ってしまいます。
結局、庶民に必要のないサービスを提供して儲けているような気がするのです。
AIやグローバル化はいずれバブルがはじけるようにブレーキがかかると思います。
ハイテクが必ずしも売れるとは限らない。
AIも人間が作ったものです。
どこかにおかしな箇所があると思うのです。
そのAIを絶対視するような人は、私は正直言ってあまり信用できません。
人間の発想力や思考は、いくら何十億、何百億のビッグデータから予想したとしても、それを超えるところに人間の発想や思考があると思うからです。
AIは何かわざとらしいのです。
作成者の意図が丸見えです。
いらぬバイアスをかけて人を誘導しないでほしい・・・。
はっきり言ってしらけてしまいます。
私の世代は、コンピュターの無い時代の仕事を知っています。
今の時代の仕事と比較した場合、昔の人の仕事の仕方の方が堅実だったと思います。
コンピューターは確かに処理速度は速いのですが、ミスや不正が横行しすぎです。
マイナンバー制度も、私はうまくいかないような気がします。
情報は、絶対に洩れます。
最終的に最も信頼をおけるのは、やはりアナログなのかも知れません。
今回の地震でもよくわかります。
電気を使うものはあてにできない。
世の中、想定外のことが起きる。
ポケモンGOはあっという間に廃れました。
商売ですもの・・・永遠に売れ続けることはありえません。
こどもだましに大人までもがのせられている。
グローバル化もそろそろ廃れると思います。
予想屋ではありませんが、今の外国人受け入れには心が伴っていません。
世界的にもそうですが、大手企業の儲けのための外国人受け入れです。
全く庶民は望んでいません。
すでに庶民のレベルでの軋轢が生じています。
異民族が急に交われば内乱に発展します。
大手企業や資本家のエゴ、金で釣った入国では、いずれ取り返しのつかない争いが起こります。
世界には様々な人種がいます。
全ての人種を平等に受け入れることが善ではありません。
最終的に・・・、朝ナマの出演者のほとんどが、礼儀作法がなっていないと思いました。
それが言いたかったことです。
温故知新、尊属、年長者は敬うべき存在なのです。
もっと自由に、なんていきがっていられるのは今のうちです。
礼儀作法を忘れた日本はいずれ廃れる運命です。
相続も「礼」を伴って成功するのです。
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