ダビデの子なんかじゃないぜ ~マタイの福音書22章 | 聖書ショートコメント

聖書ショートコメント

世界で一番古いベストセラー「聖書の言葉」を少しずつ読みます。
イエス様に出会った人たちに神様の愛を語ってもらいます。
聖書を手に取って読んでくださるきっかけになればうれしいです。

聖書の言葉:マタイの福音書22章42節~45節

「あなたがたはキリストについてどう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、『主は私の主に言われた。(中略)』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」

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イエスはダビデの子孫であるよりも

ダビデの主なのだ

ダビデの主ということは

ダビデの神ということだ

 

イエスがダビデの神なのは

イエスがアブラハムの子孫だからじゃない

イエスが聖霊によって

処女マリヤから生まれたからだ

奇跡的に誕生したからだ

 

マリヤは聖霊によって身ごもったのだから

本当のことを言うと

マタイの福音書の最初の系図は意味がない

あれはただの形式だ

イエスはヨセフの子じゃなくて

イエスは神のひとり子なのだ

イエスはダビデの子である以上に

神の子なのだ

神と等しいお方なのだ

 

本当に大切なのは

聖霊によって生まれるという奇跡

それは

神が石ころから

アブラハムの子孫を起こすような

大奇跡なのだ

 

俺たちに必要なのは

系図じゃない

血統じゃない

生まれじゃない

家柄でも

人種でもない

性別でもない

俺たちに必要なのは

何もかもをひっくりかえす

神の奇跡なのだ

 

まったくダビデの子とは

縁もゆかりもない俺が

どうしようもない

ろくでなしの俺が

十字架の血と

神の聖霊によって

神の子どもになるという

天地がひっくりかえるような

大奇跡なのだ

 

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