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河童のクゥと夏休み

2019-09-05 06:55:15 | アニメーション映画



『河童のクゥと夏休み』
監督:原恵一













1. あらすじ

河童の子供クゥはとある事件で江戸時代から現代まで眠りにつく。康一に発見されて目を覚まし、人間社会のど真ん中で暮らすこととなる。康一やその家族との交流、河童の仲間探しの旅などを通して、康一とクゥは夏休みの間、共に様々な経験をしていく。



2. 全体像

単なる少年と河童の楽しい交友物語ではなく、現実的視点による河童と少年との出会いと交流がスリリングに描かれる。現代社会に河童が存在したらどうなるか、人々はどのような態度をとるか、言動や感情を通して表現されている。主に人間と自然といった構図の元に、監督が表現したかったであろうことが強く描かれており、非常に密度の濃い作品になっている。



3. キャスト

・クゥ(富澤風斗)
河童の子供。康一に偶然発見されて目を覚ます。素直で元気、礼儀正しい男の子。

・上原康一(横川貴大)
小学5年生の男の子。

・オッサン(安原義人)
上原家の飼い犬。










4. 感想*ネタバレ


・人間と自然

河童であるクゥは自然と共に生きる妖怪たちの一人。クゥを通して、いかに人間が妖怪や自然に対して尊重を失い、破壊してきたかが描かれる。
人間の欲によってクゥの父親は殺されてしまい、河童をはじめとする妖怪はほとんど姿を消してしまった。

都会や人間社会の恐ろしさを描いた上で、日本の自然が非常に美しく描かれている。
特に遠野の旅における真夏の風景は、誰もが懐かしみを覚えるほど味のある情景だった。



・リアリティ

作品は一貫してリアリティを持って描かれる。
クゥの父親が斬られるが、そこでは容赦無く血が吹き出し右腕が切り落とされるという、なかなか子どもには見せられないような衝撃のシーンから始まる。
クゥが化石から復活する過程も妙に奇妙だった。

しかし外見のリアリティよりも人々や妖怪たちの内面がよく表されていたと思う。
康一の友達や家族との会話、好きな女の子への態度など、細微まで現実味を帯びた構成になっていたし、感情の変化もうまく伝わってきた。
康一や家族のクゥへの態度やその変化も非常にリアルだった。

そういった現実的に描かれた人間社会において、さらにクゥやオッサンなどの人間以外の生き物の声を対比させていた。
飼い犬であるオッサンが人間をどのように見ているか、人間である康一には理解できないオッサンやクゥだけの世界がそこにはある。
オッサンは、以前は仲の良かった飼い主の少年に虐待をされていた。「人間は急に変わっちまうことがある」という言葉は素朴ながら心に響く。
クゥと仲の良い康一や家族も、クゥの存在がばれてメディアに注目されると浮かれてしまい、怯えているクゥには気がつかない。
一方でオッサンはそんなクゥに瞬時に気がつき、そばにいてあげたり、命を犠牲にしてまでクゥを守ってあげた。




・人間の愚かさと可能性

人間の愚かさが強烈に描かれている。
それは江戸時代、河童の住処である沼の開発をやめてほしいと願い出たクゥの父親を問答無用で切り捨てるシーンから始まり、さらに父親を悪者扱いしてその右腕を現代まで戦利品として保管していたことが明らかになる。
クゥの存在が噂された時も無理やり付きまとわれたり、メディアが家を取り囲んだりしていた。
クゥの気持ちは誰も考えず、テレビに出演させる。
生放送中に父親を殺した男の子孫に出会い、傷つき逃げ出したクゥとオッサンを追いかけ回す。
挙げ句の果てにオッサンは車に轢かれて死んでしまい、それにもかかわらず取り囲んで写真を撮る。
クゥが神通力のような力を見せた後は、ひたすらクゥを危険な存在だと主張し始める。

おそらく悪気のある人々はいないのだろう。珍しいものに食いついただけだった。
クゥの存在がバレたのも、実は康一の妹や母親が隠そうとしながらも、バレることを望んでいたような描写が見られた。それも人が故の感情だったのだと思う。

またクゥに対してだけでなく、人間同士の関係も描かれており、いじめや友情の脆さなども強調されていた。

そういった、人間の悪というよりは、むしろ不可避的な愚かさが伝わってきた。


ただしその一方で、ある種の可能性も描かれていたと思う。
突然出会った信じがたい奇妙なクゥに対して、康一やその家族は戸惑いながらも優しさを持って接した。
テレビでの事件があったものの、最終的に彼らの繋がりは友情以上、家族同然のものになった。
クゥは人間をひどく恐れていたが、康一たちとの出会いによって人間と妖怪とは分かり合えることも出来るのだと理解することができた。

康一とクゥはお互いの出会いを通して大きく成長した。
それはクゥが人間の暮らしに合わせて生きていこうと決心したこと、康一のクゥを見送った後の眼差しからも読み取れる。




・変わらない社会

個人の成長は見られたが、依然として社会自体は愚かなままで何も変わらなかった。
クゥや妖怪たちが人間に圧迫されている現実は何も変わらなかった。
いじめの問題も何も変わらなかった。
はたしてそれでいいのだろうか。

総じて邦画は社会変革よりも、既存社会に対する個人の成長を描くことが多く、この作品も然りであった。
個人的にはやはりそこらへんの点で邦画には物足りなさを感じるし、それらに対してジブリ作品がずば抜けているポイントだと改めて思う。









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