「おわら節」に挑む !

爺さんが 唄と踊りの両方を欲張って始めてみたのだが - - 

「 疎 開 」 (宗像シリーズ再掲)

2018-11-17 07:07:21 | 日記

(話は前後するかも - -ご容赦ねがう)

表題の「疎開」という言葉も今では死語となってしまったが、いよいよ日本の戦局が悪くなり

本土空襲も度々になると 都会の児童は集団または個別に田舎へ一時避難することになった。

そのようなことで以下の記述は 私と姉、母三人が 母屋から五分位歩いた所に建つ道具小屋

に一時住ませてもらうことになった時の記憶である。

 おばあちゃんは、母屋から少し離れた隠居部屋でほとんど寝て居て、私が顔を見せると

おいでおいでをして、蜜柑を一つ布団から出し私の手にのせてくれるのだが その蜜柑が

いつも暖かかったのを覚えている。

この隠居部屋は二階が有り、あまり使われてない納屋になっており、ここに おわら節に

唄われている (棒で突っ張って開ける木の)「押し開け窓」があったが

私はこの窓を押し開けて、季節季節の広々とした水田や実りの風景を見るのが何故か好き

だった。



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