当地では自分の生れたところや親の出身地を在所というが、その意味で私の出身地方は
ただ単に田舎と言った。
子供のころ、空襲が激しくなり、この母の田舎に一時疎開したことがある。
国鉄の鹿児島本線赤間駅で降りてから木炭バスでおよそ一時間余りで 宗像郡加藤村
池浦という農村に着く。
夏の時期、バスを降りバスが土ぼこりを残して走り去ると、田んぼの稲の青々と
したにおいが気持ちよく、降りる人いつも は私と母の二人だけであった。
そこから田んぼが左右に広がる細い農道を500メートル位進むと50戸位の藁葺の家が小
高い山裾を左右にぽつぽつと並んでいた。
あまり定かではないが、あのままバスを降りずに乗って居たとすれば宗像大社へは20分
位の距離だったと記憶する。
「懐かしい田舎のにほい」
細い農道を(当然舗装などしてない)500メートル位進むと おばあちゃんと叔父さんの
住む家に着く。
家の周りはいいかげんな竹枝の囲いになって居て、その竹囲いの入り口をくぐると程よ
いひろばがあって左手に納屋、右手が二階建ての隠居部屋そして正面に結構大きな藁ぶ
きの母屋があった。
母と私が母屋の木戸をくぐると いつものように叔母さんの笑顔と
「ひろゆきしゃん よ~来んしゃったなー」と いつも うれしい呼びかけ
が迎えてくれた。