大神神社の神様について、数回に渡って書いてきました。決して祟り神ではありません。

それでも、日本の正史である記紀(古事記と日本書紀)に書かれているのだから、祟り神に違いないと考える方もいるでしょう。何を信じるかは個人の自由です。

詳しくはコチラをご覧ください。

さて、他の神様についてはどうでしょうか?

学問の神様、菅原道真公も怨霊とされます。

道真公は、太政官のトップである右大臣まで出世しますが、権力争いに負けて、大宰府に左遷されてしまいます。都に戻ることは叶わず、大宰府で亡くなった道真公は、怨霊となって復讐したため、神様として祀ることで、その祟りを鎮めた、というのが語り継がれている話です。

 

道真公の失脚に関わった人たちが不審死で亡くなり、落雷事件で死傷者が多数出たことは事実のようですが、これが道真公の怨霊による復讐であるという確固たる証拠はありません。後に、そのように語られるようになっただけかもしれません。

 

もう一つ、私の知人の経験談ですが、彼が仕事や家庭がうまくいかず、人生に投げやりになっていた時期に、神様を信じられなくなり、とある稲荷神社の前で、「バチを当てられるものなら、やってみろ!」と毒づいたそうです。

 

その翌日、目を覚ますと、とんでもないことになっていました。なんと、獣が爪で引っかいたような深い傷が、背中にできていたそうです。かすり傷ではありません。治療が必要なレベルです。そして、この傷がなかなか治らない。彼は神様のバチが当たったことを確信しました。その後、毒づいた稲荷神社に参拝し、丁寧に謝罪して、ようやく傷が癒えたそうです。

 

神様のバチが当たることはあるのです。もちろん「やってみろ!」と、ある意味ではお願いしたので、その願いが叶ったということになります。神様ではなく、眷属の怒りかもしれません。または、神様は関係なく、低級霊の仕業かもしれません。しかし、神域での暴言や失礼な言動は慎むべきでしょう。

 

神様は偉大な存在で、人間をかわいい孫のように思っているから、何をしても怒らないと考えている方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。人間の失礼な言動に対しては、我慢をされています。神社では、自分の欲望を満たすための願い事ではなく、世のため人のためになることを神様に協力してもらってやり遂げたいという決意表明をしてください。

 

いつもありがとうございます。

見えない世界を伝える神社ナビゲーター

市口 哲也