Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

催し物の緩和も大きな要素

2020-11-27 | 歴史・時事
事件ものの話しから「刑事コロムボ」を観た。指揮者が登場するものの記憶があったので、コンダクターで検索すると出て来た。題して「黒のエテュード」であった。ショパンの曲がそこにあるが、その自殺の動機とか何とかよりも、指揮者像の描き方とか謎解きの方があまりにも安易な感じで面白くなかった。交響団指揮者というとやはりもう少し期待してしまうからだろう。表層的な人間にしてももう少し賢そうな言動を待つのだが、このシリーズの他の知的殺人者に比較しても物足りない。ロケ地のハリウッドボウルの指揮者なんてその程度にしか思われていないのだろうと察した。一番印象に残ったシーンは、金満家の娘の奥さんが指揮者の旦那がピアニストの女の番号を空暗示しているのに気が付いた瞬間の表情である。当時よく出ていたブライス・ダナーというブロンドの細面の大きな青い目の表情である。

京大の八割おじさんの話しが面白い。現在の日本の状態を解析して、第二波から第三波が続けてやってきていると称している。つまり第二波以降も緩和が進んで一挙に来たという形になるらしい。これで分かるのは夏以降ウォチャーを続けている隣国オーストリアの状況である。

まさしく欧州では数限られる第二波が夏の間にやって来ていた国である。理由は、オペラやヴィーナーフィルハーモニカー、ザルツブルク音楽祭に代表される春から夏の緩和の延長に真夏の波があったのにも拘らず、9月、10月と引き締めることも無く第三波の頂点が第二波と干渉して大波となっている。

具体的にはリンツやヴィーンでの夏季の帰国者の感染とされたものと実はザルツブルガーカムマーグラートでの感染源は異なりそうで、後者の方は8月中旬以降は可也制圧されていたように思われる。実際にザルツブルクが第三波に呑まれたのは大分後で、その谷部から結婚式などで大発生していた。第三波の特徴が都市型であるとすれば、根強く残っていた種が潜み続けていたのかもしれない。

同様な例はドイツの場合それ程みられなくて、ワイン街道のここでも八月初めは指数が1を割って零に近づいていた。しかし零にはならなかった。その後10以下で推移して、クラスター潰しが出来なくなったのは、勤め先のルートヴィヒスハーフェンなどで突発的に上昇するようになってから徐々に郊外へと広がって行った。現在のスパイヤーが363と連邦上位にあるのはそれゆえである。多くの人がBASFなどから電車で通っている。

何処の国もヴァカンスシーズンで撲滅などとは考えなかったのだが、クラスター潰しが出来なくなったところと出来たところの差はついたであろう。一般的にコッホ研究所の指数50というのは追跡調査が出来なくなる数字を示していて、実際はその前に設定した25から50へは数日も掛からなかったところが多い。

日本も大都市の東京や大阪また北海道などは既に25を超える勢いで、日本全土でも11を超えている。ドイツの場合はそこから50を超えるまでに5週間、オーストリアの場合は3週間ほどで、その間に華々しくザルツブルク音楽祭が開催されて、オペラの新演出公演がなされていた。さて日本はこれから年末までにどこまで行くのか、とても注目される。

八割おじさんが言うように催し物などの緩和も大きな要素であることは最早否定しようがない。音楽祭で感染者が出たとかでないとかは殆ど関係が無いことで、実際には感染はそうやって広がって行っている。そして死者の数も増えていく。

個人的にも寒さの加減か再び胸がスカスカするようになってきた。時々喉の奥がむかむかして血の気が喉の奥から出てくる。恐らくコロナがうろついているのだと思う。全身症状はそれほど悪くはないのだが、このスカスカ感は特有のもので気持ちが悪い。



参照:
プファルツ風ポテトサラダ 2020-08-13 | 料理
音楽会マスク着用様々 2020-09-20 | 雑感


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