常磐線は、いずれ歩きたいと思っている路線の一つです。
とはいえ、このように長~いので、実際に歩くのは茨城県内までかな。
 
 
距離が長い故、一つの車両ですべての行程を行くわけではなく、何段階かに分かれています。
 
時間などによって変化がありますが、私が乗ったのは
 
上野ー水戸ーいわきー富岡ー浪江ー原ノ町ー仙台
 
という乗り換え具合でした。
 
福島県のいわき駅から先は、かなり海辺を行きまして。
窓越しでちょっと暗めに写っていますが、絶景が見えましたのです。
 
しかし、こんなものも見えました。
 
窓の汚れも一緒に写ってますが、そこはスルーでお願いします。
 
広い広い空き地に、きれいな色のなにか。
 
あれはおそらく、除染した土とか、そういったものを詰めたものだと思います。
どこにやるわけにもいかずに、ひたすら貯めておいてあるもの。
 
10年くらい前。
私はJR普通電車乗り降り自由の、青春18きっぷの旅をしました。
東京、埼玉、群馬、新潟、福島、茨城、千葉と、1都6県を回る旅をしたのです。
 
その際、常磐線にも乗るつもりだったのですが、時間が足らなくなりまして。
海側を回って大回りになる常磐線よりも早めに東京へ戻れるだろうと、それより内陸を走る東北本線に乗りました。
 
常磐線は我が故郷である千葉県も走っている、私にとっては身近な路線でもあったゆえ、
 
「また常磐線には乗れるから、いつでもいいや~」などと思ったのです。
 
しかし、その数年後に東日本大震災が起き、常磐線も甚大な被害を受けました。
 
 
途中の駅で見た、きれいな跨線橋(こせんきょう)。
新しく作られたものだとわかります。
 
あの3.11で、常磐線の、特に茨城県から北の海岸部は直接の津波被害にもあい、橋梁や駅舎が流されるといった被害までありました。
 
新しい駅舎やホームや跨線橋は、地震被害にあったという証。
 
それでも東京ー茨城間はその年のうちに復旧しましたが、福島県内は原発事故のため、大変に遅れました。
 
なにせ警戒区域にされた範囲も広く、被害状況を調べるどころか、関係者も立ち入れなくなりましたから。
 
 
沿線の広いところに、除染物質を詰めたであろう大きな袋が積んである景色。
周りの山々が緑深く美しいだけに、異様な光景ではありました。
 
東日本大震災から2年ほどたったある年、私はその時点で常磐線の南側での最終復旧地点であった、広野駅まで行ったことがあります。
 
あの時はまだ、電車から仮設住宅らしきものが見えたりしました。
丘の上にチラ見した建物群だったので、はっきりそれかはわからないのですが。
 
あの時は海が見えないやや内陸のところだったので、直接海の様子を見たわけではないです。
 
ただ、山あいの小さな駅に降り立った、というだけ。
 
しかし、続いているはずの線路の向こうに草が生えていて荒れていたのが、何だか悲しかったです。
 
 
ちょっとしょんぼりしながらも、それでもこの日は広野駅よりも先、富岡駅に到着しました。
 
いわき駅から乗ってきたのが、この車両なんですが。。。
特急と間違えるでしょ??
これに普通切符で乗れるとは、当初思わなかったとです。
 
 
駅舎に向かう跨線橋の上から、北の方面をパシャリ。
またここから先が、繋がっていないのですねえ。
 
ただ、以前に広野駅で見たような、荒れた感じはしませんね。
どこまで線路の修理は終わっているのだろう?
 
実は、私が乗ってきたこの電車には、カメラを持った男性が複数人乗っておりました。
 
それがまた、この駅に着いたらみなさん、車両と駅舎と北の方向を撮りまくる。
 
乗客の半分くらいは、撮り鉄さんだったのかも。
 
 
で、ワタクシ、外へ出てまいりました。
 
これが現在の富岡駅。
 
富岡駅は津波で全壊し、流出してしまったそうです。
 
現在の駅舎は元より北に100メートルほど移設して、交通広場とともに整備しています。
お土産物と飲食も兼ねる「さくらステーションKINONE」が併設されていまして、ここでご飯も食べられます。
 
しかし、この日はさらに先へ行きたい私、寄りたいところをぐっとこらえるのでした。
代行バスを待ちつつ、パシャリ。
 
早めに並んだ代行バス乗り場、私の後ろにはさらに数十人がずらりと並びます。
1日数便しか出ていないので、乗りはぐったら大変。
 
代行バスは浪江駅まで直通します。
富岡駅と浪江駅の間の駅3つが運休中で、その間に、かの福島第一原子力発電所があります。
 
そのため、現在はその3つの運休中の駅があるところが、帰宅困難地域となっています。
 
あと1日、常磐線の旅の話、続きます。
 
♪  なんでもないや(movie ver.)  上白石萌音