また私が知らぬまま、地域の特徴的な道をてくてく。
 
歩いていた時は、この下に川があるとは知りませんでしたよ、想像もしなかったわ~。
 
 
50メートルほど歩いて、まだまだ続く緑道。
埋まっている九品仏川は全体が暗渠(あんきょ)されちゃっているそうで、ひょっとして川全部緑道化してるのかもしれない。
 
とはいえ、緑道=暗渠とは限りませぬ。
以前には鉄道の廃線跡に作った緑道というものも、見かけたことがございます。
 
 
しかし線路からだんだん遠ざかるゆえ、緑道とは短い付き合いでしたが、すぐにお別れ。
ちなみにその緑道が区界戦にもなっておりまして、南下した線路に近づこうと緑道を離れた私は、目黒区からまた世田谷区に戻ってまいりました。
 
まだ真南に2~3キロ行けば、多摩川が南東へ流れている地域なのですが、そのあたりの多摩川沿いは大田区に変わっております。
 
この周辺数キロは、目黒区、大田区、世田谷区の境目がカギのようにかみ合って複雑な状態になっています。
 
自由が丘駅から東横線で南へ一駅の田園調布駅は大田区。
私が向かっている大井町線の東へ一駅のところは、また目黒区に戻ります。
歩いててもさっぱりわからないですよ。
 
 
なんにしても、世田谷区、デカいっす。
 
 
オマケに地形も変化アリ。
 
さっきまでちょっと高い位置を走っていた線路が地上に戻った~。
 
 
途中から線路の南側へ来たのですが、今度は線路は高さを維持したまま、道は下り坂。
線路の向こう側の住宅を見ると、2階が線路と同じ高さのようです。
 
また丘越えがはじまったか。
そうそう平坦なところばかりじゃございません。
 
 
ああそういえば、おしゃれタウンにばかり気を取られ、東急大井町線自体に対する記述が少なくなっていました。
 
普通の住宅街にたどり着き、なんでか思い出す。
 
東急は他社の買収だの合併だの、いろいろと複雑な歴史がございまして、なじみのなかった私にはなかなか難しい。
しかしせっかく歩いて記事にしているからには、ちょっとはその片鱗をお伝えしたい。
 
そろそろちょろちょろと出していくことにいたしましょう。
 
 
なんて言ってるそばから、あっさり次の駅に着きましたけどね。
 
この道中は実際の長さは駅間1キロ。そんなに遠くはなかったです。
でも変化が大きい方だったかも。
 
骨組みが特徴的な高架駅のこちらは、緑が丘駅です。
 
 
そういえば、駅名に丘がつくくらいなんだから、やっぱり丘がある地形ということです。
目黒区緑が丘にある、緑が丘駅は、昭和4年開業で当時は「中丸山駅」といったそうです。
昭和8年に「緑ヶ丘駅」に改称。
昭和41年に「緑が丘駅」になったそうな。
 
「中丸山」は駅の近くの高台の地名だそうです。
なんで最初から住所の名前にしなかったのだろう?と思ったのですが、開業当初は地名が「緑ヶ丘」ではなかったそうな。
ウィキペディアさんによると元は「碑衾町大字衾(ふすま)字谷畑下」だったそうです。
 
どこを駅名に区切っていいかわからない名前だな。。。だからご近所の名前を借りたのだろうか。。。
 
昭和7年にここが東京市に編入ということになり、その時に地名を「緑が多い丘」だからとこの名前に変えたそうな。
 
住民も変えたがる名前だったということか。。。?
 
 
駅舎は平成25年に改良工事が完成したそうで、まだまだピッカピカ。
 
大井町線しか止まらない、急行も止まらないのにかなり大きく立派な駅です。
 
 
さて、ここで問題。
駅舎の両脇には細道あり。
画像は北側。
 
どっちへ行くべきか。
 
 
実はこの先には、東京工業大学のだだっ広いキャンパスが、線路を挟んでドドーンと広がっております。
 
でも公道も二つあり、横切ることは可能。
問題は、その公道まで行くのにどう行こか?
 
 
試しに北側の道を行ってみる。
そうしたらいきなり急な上り坂。
目の前の大学の建物らしき、巨大建造物が見えております。
 
行き止まりになって北へ進路変更。
また行きどまって西に進路変更。
 
結局南に進み、元に戻る。
 
ええい、もうバテてきた身に、何やらしてるんじゃ、自分!
 
自分に起こっても仕方ないのですが、無駄足を踏む。
 
空も天気が悪くなってきたし、あきらめかけるも、あともう一駅頑張ります。
 
 
♪ 無責任ヒーロー  関ジャニ∞