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玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オノレ・ド・バルザック『ウジェニー・グランデ』(1)

2020年02月17日 | 読書ノート

『セラフィタ』の余韻の残る中、次に選んだのはオノレ・ド・バルザックの最高傑作とも言われる『ウジェニー・グランデ』である。とにかくバルザックの名作といわれる作品を優先的に読むことにした以上、この作品は欠かすことができない。

 しかし、もう一つ大きな理由がある。それはヘンリー・ジェイムズの中期の作品『ワシントン・スクエア』が、バルザックのこの作品の影響下に書かれたという話を読みかじったからである。『ワシントン・スクエア』は大傑作とは言えないかも知れないが、ヘンリー・ジェイムズの特徴をよく示した作品であり、比較して読んでみない手はないと私は考えたのだった。

 ヘンリー・ジェイムズはフローベールやゾラ、モーパッサンなどと交流があり、フランス文学に対する理解には並々ならぬものがあったが、彼が一番愛したのはバルザックであったように思う。ジェイムズは1905年に、フィラデルフィア同時代クラブというところでバルザックについて講演を行い、その記録が「バルザックの教訓」という講演録として残されている。

「バルザックの教訓」は講演録という性質上、それほど緊密に考え抜かれた内容にはなっていない。フローベールの『感情教育』の項で紹介した「ギュスターヴ・フローベール」で、あれほどに精緻な分析力を見せたジェイムズの力量が、ここで十分発揮されているとは言いがたい。

 しかし好き嫌いはこういうところに表れるもので、「バルザックの教訓」がほとんど理屈抜きに、ジェイムズのバルザックへの愛情を語っているところを見ると、彼が本当にバルザックに傾倒していたことが分かる。彼が小説家としてはバルザックが最も好きだったということは、彼より才能の劣る作家に対するジェイムズの容赦ない非難によって理解することができる。

 こういうやり方は本来フェアな批評とは言えない。ある作家を称讃する時に、彼より劣った作家の才能をあげつらうことは、比較の濫用であって、本来はそれによって称讃の対象となる作家の偉大さを証明することはできない。ジェイムズのアンフェアな姿勢は、彼のバルザックへの理屈抜きの偏愛を語っているのである。

 まずやり玉に挙がるのは、バルザックと同時代人であったジョルジュ・サンドである。ジェイムズは次のように語っている。

「彼女の作品は総体として捉えると、まるでみがきあげ彩色をほどこした巨大なイースターの卵のようであり、分析のための手がかりがほとんどないのです。博物館の宝物ではないまでも、お菓子屋の自慢のたねになるような代物です。」

と手厳しい。ついでに女流作家が列挙されていって、処刑の憂き身に晒されていく。ジェーン・オースティンが現在評価されているのは、彼女の作品の文学的価値によっているのではなく、商業上の目的、「書物の販売を伸ばそうという特別の配慮」によるものでしかないと、ジェイムズは言う。

 またこの延長上で生け贄となるのは、シャーロットとエミリーのブロンテ姉妹である。ジェイムズは次のように述べて、彼女らの作品の価値を否定する。

「ブロンテ姉妹について述べますと、彼女たちの文学的才能とは無関係の理由によってロマンティックな見方をされることになったのだと思います。つまり、姉妹の暗い悲劇的な生涯とか孤独とか貧しさというようなイメージが彼女らにまつわりついて離れないのです。そしてイメージが『ジェイン・エア』あるいは『嵐が丘』のもっとも鮮やかな頁と同じくらい執拗にわたしたちの目の前に浮かぶようにさせられてきたのです。」

 この議論自体は、文学作品の価値を決めるのは作家の生涯ではなく、作品のテキストそのものであると言っているので、至極まっとうなものである。しかし、それはバルザックが偉大であることの直接的な証明にはならない。

(私は今年に入って、「ゴシック論」のために、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』を数十年ぶりに読み直したのであったが、この作品が世界文学史上の傑作の数々に比肩する作品だとは到底思えなかった。人物造形はめちゃくちゃだし、スト-リーもあちこちで破綻しているし、偉大なコミックの原作にはなり得るかも知れないが、偉大な文学作品などではまったくないと思わざるを得なかった。したがって「ゴシック論」で取り上げる熱意を感じなかったのである。)

オノレ・ド・バルザック『ウジェニー・グランデ』(1973、東京創元社「バルザック全集」第5巻)水野亮訳

ヘンリー・ジェイムズ「バルザックの教訓」(1984、国書刊行会「ヘンリー・ジェイムズ著作集」第8巻)行方昭夫訳

 



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