毎週末にアップさせて頂いている
 
息子の大事故
 
のブログの続きです 
先週は諸般の事情でアップ出来ず、一週間開きました、すみません
 
さて、過去のブログは下記から…
 
①  こちら
②  こちら
③  こちら
④  こちら
④ の続き…  こちら
(何故、息子の大事故の事をブログに書いたか)
⑤  こちら
⑤ の続き… こちら
⑥  こちら
⑦  こちら
⑧  こちら
⑨  こちら
⑩  こちら
⑪  こちら
⑫  こちら
⑬  こちら
⑭  こちら
⑮  こちら
⑯  こちら
 こちら
 
⑰の続きからです
 *…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
↓↓↓
 
大学病院でのリハビリが始まってからひと月ほどして、リハビリ病院でのリハビリ生活が始まりました
 
私たち家族にとって、リハビリ病院に移って良かった事は、自宅から車で15分という立地の良さでした
 
それに、大学病院の病室からはドクターヘリの離発着が頻繁に見えて、それを見る度に
 
あぁ、あれに乗ってこの子もここに運ばれて来たんだ、とか
 
このヘリに乗っている人が助かりますように
 
と、色々な思いが過ぎり辛かったのですが、
 
リハビリ病院はとにかく静か
 
アメリカです、病院も巨大でしたが、とてもきれいで毎日安心して過ごす事が出来る病院でした
 
 
事故から3ヶ月近く経った頃、病室の窓の外を見ていた息子が、
 
ねぇ、ここどこ
なんで僕、ここにいるの
 
と、私に聞いてきたのです
 
事故の衝撃で、事故前後の記憶が全くなくなっていた息子にとって、窓から見える景色が我が家から見える景色に似ていた事から、急に色々考えだしたようでした
 
この道はどこ見た事あるよ
なんで学校じゃなく、ここにいるの
 
と、続けて聞いてくる息子に、私は丁寧に丁寧に、事故に遭ったこと、通りの名前、大学も全部知っているから安心してね
 
と、全てのことを話しました
 
すると、事故のことは何も覚えていない、
ネイトとバイクで出かけたかもしれない
 
と、それが事故の日かはわからないけれど、一緒にいたことの記憶だけは少しある
 
と、言いました
 
脳挫傷で高次機能障害になるとは、こういう事なんだと改めて実感した瞬間でもありました
 
後に、彼が事故の日のことを全て思い出すまで2年の月日を要しました…
 
 
私と毎日リハビリをしていても、何でこんな身体になり、何処で何をしているかも今まではよくわかっていなかったという事です
 
それでも、事故直後の生死の境を彷徨った日々、
意識不明で植物状態になるかもしれなかった日々を思えば、記憶がない事位はどうでも良い事にも思えました
 
 
そんな息子でしたが、彼がいつも会いたい
元気にしてる
 
と私たち家族に聞いていたのが、愛犬のステフィーのことでした
 
私たち家族はどうしてもステフィーと息子を対面させたくて、ドクターにお願いし、やっと許可を頂くことが出来ました
 
息子を車椅子に乗せ、病院の玄関まで連れ出します
 
そのタイミングで自宅からステフィーを連れて病院までいくのです
 
元夫、娘、私と皆んなで計画して時間を合わせて、ナースの方々にも協力してもらい、無事対面させることが出来ました
 
そのとき初めて事故以来、笑顔の息子を見ることが出来ました
 
 
 
 
ステフィーも大喜び、泣いて息子の側に走って行きました
 
 
 
息子とステフィーは兄弟姉妹のように遊び、寝る時もいつも一緒でした
 
ある時は庭にテントを張り、キャンプをすると言って一緒に寝たり、プールで泳いだりと何時も一緒に過ごしていたのです
 
 
アメリカでは、犬が病院を訪れるドッグセラピーが盛んです
 
息子のリハビリの為にも、ステフィーとの対面が役に立つかもしれないとの思いからでしたが、
 
それ以上のものがこの再会にはあったように思っています…
 
 
 
 
to be continue …
Have a nice weekend