ケロヨンのあたらしいぼうけん | これでいいのだ

ケロヨンのあたらしいぼうけん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いつのまにやらケロヨン

 

 

なつかしきケロヨンとの再会がTwitterであるとこがなんとも時代です。ケロヨン【ほんもの】というアカウントでの活動。はじめはほんものかなって思いました。ありえないけれども幼なじみに当時とかわらぬ姿で出逢ったようなおどろきです。しかもコメントしたらその御本人から返信がかえってきて2度びっくり。オフィシャルなキャラから返信つくのはそうそうない。
しかし不思議なのはあれだけ一世を風靡したはずのケロヨンがなぜなんだろうという疑問。
ケロヨン【ほんもの】とするくらい薬局のキャラと間違えられていたり、昭和後半生まれですと何となく名前くらいしか知らないらしいのです。それもそのはず番組ごととつぜんのように消えてしまったのですから。調べてみますとテレビで大活躍していたのは4年ほどだったようです。万博でもりあがった高度経済成長期の真っ只中です。熱狂と同時に空気みたいな存在でもありました。でも気がついたらいなかった。かつてのTVシリーズのネガは行方不明だそうです。映画版の2本のみソフト化されています。
番組ごといきなり消えてしまった理由を2019年の読売新聞の連載からしることができました。

 

 

こどもたちのアイドル/ケロヨン基礎知識  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

●「木馬座アワー」1966年11月21日~1979年3月18日/日本テレビ系
・月~金/11:00~11:20・再放送:同日17:00~17:30
●「木馬座と遊ぼう」1967年10月5日〜1969年9月/日本テレビ系
・木曜/19:30~20:00/1967年10月〜1968年3月
・土曜/18:00~18:30/1968年4月〜1969年9月
●「ケロヨンと遊ぼう」1971年4月〜9月/TBS系
・月〜金/17:35~17:45 

●「ケロヨンと三人組」1971年10月〜12月31日/ 日本テレビ系
月〜土/8:05 - 8:20

 

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ケロヨンとはぬいぐるみテレビショー「木馬座アワー」のワンコーナー

「カエルのぼうけん」の主人公です

原作はケネス・グレアムが1908年に発表した「たのしい川べ」という児童文学

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それを元に A.A.ミルン(くまのプーさんの作者)が戯曲を書いた

「かえる屋敷のトード」のお話なのだそうです

ウィキペディアでは「ヒキガエル館のヒキガエル」

 ディズニーでも「イカボードとトード氏(1949年)」としてアニメ化されています

 

 

    

 

    

 

ケロちゃん風と共に去りぬ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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テレビだけでもものすごい展開ですね。しかも劇場でショーをやったり、団地や遊園地で興業もしていましたからケロヨンを見ない日はなかったと思われます。しかも原作があるとはしりませんでした。ビジュアル的にもほとんどオリジナルではないでしょうか。空想特撮シリーズでいうとウルトラQからウルトラファイトくらいまでの時期です。なにかここにも、種が蒔かれて役割をおえると去ってゆく時代の神意のようなものも感じます。
生みの親は影絵作家として著名な藤城清治さんです。読売新聞の記事によれば、

信頼していた仲間のクーデターというご本人の言葉が出てきます。人気絶頂のころになにがあったのでしょうか。

 

◎ケロヨンの生みの親/藤城清治さん主な年表

●1964年/藤城清治さんが中心となり人形劇場「ジュヌ・パントル」結成
●1952年/テレビ放映を機に「木馬座」と改名
●1961年/「木馬座ファミリー劇場」としてぬいぐるみ人形劇となる
●1967年/「木馬座と遊ぼう」という番組としてテレビ放送開始
●1971年/武道館公演での二重発券問題により経営不振。同年12月倒産
●1972年/藤城清治さんが木馬座を離れる

 


 

◎二重発券問題とは・・・
1971年(昭和46年)日本武道館5月3日~5日公演において。
4日の2回目分の切符が売れ残る。それで招待券を配ることにした。招待券を出しても10人にひとりしか来ないと踏んで定員数を越えた枚数を配る。実際に会場に来たのは、招待券を持った人とその同伴の人々。加えて3日と5日の切符を買えなかった人々が4日の2回目の当日券を買いに殺到。約1万5000人が武道館に入れずに長蛇の列となって会場を取り囲む。
これが誤解されマスコミに叩かれる原因となります。子どもを金儲けのだしにしたという類いのバッシングだったようです。またその頃、テレビでは大ヒットしていましたので電波料の値上げがあります。それもあって次第に経営が苦しくなっていき木馬座は倒産します。そしてテレビ放送もなくなったようです。

 

 

ケロヨンの活躍は木馬座の舞台公演をふくめると8年くらいの期間だったようです。

ケロヨンの残した楽曲を現在もCDで聴くことができます。

そこで描かれているのは世界中みんななかよくという世界平和のイデアの世界です。

藤城清治さんが人形劇に取り組んでいた約10年間は影絵制作をしていなかったそうです。

巨額の借金を抱えてしまった藤城清治さんは、ふたたび雑誌「暮らしの手帖」で影絵連載をすることになります。

興味深いのはそれまではモノクロのみであった作品がカラーとして連載を再開したことです。

わたしたちが知っている影絵はおもにそれ以降の作品のようですね。

藤城清治さんの人生にやってきたおおきな転機は光と影の煌びやかな世界を世に贈りだすことになります。

藤城清治さんにとってきびしい苦難であり喜びでもあったでしょう。

そしてわたしたちにとってはただただ素晴らしい贈りものとなりました。

それは云われなき迫害を受け、

それでも赦すこころの種を蒔くために十字架にかかったイエスさまの生涯ともかさなってみえます。

その作品はまるで教会のステンドグラスのような荘厳さです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケロヨンのうまれた時代とシフトする時代  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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木馬座の運営をめぐって内部の行き違いがあったようです。芸術家としての感性と経営者としての判断の両立のむつかしさがそこにあったでしょうし、人気絶頂期での暗転はこの世に働いている崩壊の定めでもあります。おどろくのは負債を抱え、打ち込んでいた人形劇の夢なかばでそれを手放しているのに決してあきらめていないことです。それでもなお精力的な創作活動を今も続けておられます。

まさにおおきな夢をつむぐために生まれてきたような不屈の精神の方であります。

あのころは時代そのものがおおきな夢を描いておりました。

蒔かれた夢の種もたくさんありました。そして大阪万博が開かれます。

そのテーマは人類の進歩と調和」でした。 そこで描かれた未来は・・・

●テレビ放送での教育●4時間労働●高速通勤列車● ガンの克服。等々でした。

すばらしい着眼点ですが残念ながらどれも実現されておりませんね。

 

そしてかつて昭和の時代までは日本はこういう国でした・・・
●国民1人当たりGDP世界第2位
●定期預金金利5%=2000万円を2年満期で年間250万円の利息

●年金は60歳から
●年金支給月々30万円超
●国保は現在の約半額
●高齢者の外来窓口負担は800円
●消費税なし

 

 

そしてこれが時代のおおまかな世界規模での変化になります。

●狩猟時代に求められるスキル=狩りの腕・強靱な肉体

●農耕時代に求められるスキル=自然現象についての経験値・観察眼

●工場時代に求められるスキル=識学力・生産管理能力

●事務時代に求められるスキル=さらなる高等教育・分析力・営業企画力

 

それぞれの時代において求められるものが違ってきました。

その時代の変化についていけないものは社会の最下層で生きるか淘汰されるしかありませんでした。

そしてさらなるテクノロジーの進化によって、それまで人が担ってきた仕事AIに置き換えられていくようになっていきます。

終身雇用・年功序列賃金の崩壊・終焉はそれを背景にうまれているようです。

高等教育を受けて大企業に入って終身雇用で退職という時代ではなくなります。

ではその先にあるものですけれども、これを引用したサイトでは思考の時代と呼んでいました。

市場が何を求めているのか。価値があるものはなにか。それを自ら考え働き方を生みだす時代ということです。

その通りだと思いますけれども何か足りないような気もします。

考えること以上に人工知能ではできないこと。それは魂の次元でネットワークを構築することだと思われます。

もっと正しく表現するならば、すでに張り巡らされてつながっている、いのちのネットワークを観つけだしていく時代です。

すべてがつながっていることを自覚して、生きる方向と方法を定めていく時代に入ったのでしょう。

それは求められるスキルという次元をさらに越えた、いのちの次元に働き方をつなげるというこれまでにない転換です。

現在の資本主義は人間性を根本から無視した在りかたでしかありません。だから当然に疲弊していくのです。

頂点の一部の人間しか潤いませんからそうなります。

資本主義から魂主義へ。

時代の呼びかけに耳をかたむけていけるかどうかが肝心なことです。

じつはその<種>があの時代に子ども番組をつうじても様々に蒔かれていたと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メルヘンにやどる光と影  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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なかまのどうぶつたちがなかよく暮らすケロヨンの世界。そのメルヘンの世界はつねに和を願いとするメッセージを発信しておりました。その運営組織の木馬座が内部分裂による活動休止においこまれてしまったのは皮肉なできごとかもしれません。

けれども大事なことは挫折からまたあきらめずに復活してきたということだと思うのです。

藤城清治さんはとてもおおきな転機をのりこえて偉業を為し続けております。真の芸術家の魂です。

ケロヨンはその芸術の申し子です。倒れてもあきらめない不屈の精神のケロヨンです。

ですからケロヨンの復活そのものがあきらめるなという応援メッセージだと思いました、

幸運だったのはあの時代にすでにこころに種が蒔かれているということです。

それはどんなときも和をわすれない希望の種でありました。

それをわすれずに育てていけばよいと思うのです。

あの時に蒔かれた種がちゃんと育っているかどうかケロヨンがたしかめにきているのかなって思いました。

メルヘンの影とは現実逃避です。そんな危険もあります。

これからの日本の高齢化社会は人類史上類を見ない現象だそうです。

きびしい現実がそこまで来ております。同時にそれは生涯現役で働く時代。こころの在りかたが大切にされる社会。変化の試練と希望の時代。そんな時代だからこそメルヘンの希望といやしが必要なのかなと感じます。