怪獣使いとノンマルト | これでいいのだ

怪獣使いとノンマルト

 

 

 

 

戦いぬいた戦士に捧げるレクイエム

 

 

テレビの仕事にも怪獣映画にも興味のなかった沖縄出身の上原正三さん。同郷の金城哲夫さんの縁で円谷プロに入ります。沖縄がまだ外国領土だった頃でした。テレビ業界も激動の時代です。空想特撮シリーズの大成功。新企画の視聴率的な失敗。成功しても失敗しても累積する赤字。局プロデューサーとの軋轢。沖縄返還と海洋博。空想特撮シリーズの大黒柱であった金城さんは沖縄に帰ってしまいます。

フリーになった上原さんは、金城さんの後を継ぐ形で『帰ってきたウルトラマン』のメインライターに抜擢されます。初めてのメインライターでした。

それはとてもむつかしい仕事だったでしょう。なぜなら最初のウルトラマンのテイストは金城さんにしか描けないものだったからです。

夢のあるおおらかな寓話。近未来的な感覚。どこまでもやさしくあたたかな眼差し。理想を描く崇高な世界。そしてそれが描ける自由でエネルギッシュな時代背景や環境がありました。まとめ役の金城さんがいてくれたから、他のライターさんも自由に書くことができたはずです。わたしは金城さんのウルトラマンの大ファンですから、上原さん以降のウルトラマンにはずっと違和感を感じていたのも確かです。それなのに大好きなのが『帰ってきたウルトラマン』という作品でもあります。そして好ききらいをこえて、どうしても引きつけられてしまう何かがそこにはあるのです。

それが何なのか還暦をすぎた年になってようやくわかりかけてきたのです。

 

まつろわぬ民の語り部たち  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

上原さんは子ども番組だけにその生涯を捧げた方でした。

天に帰っていった上原さんの描いてきたものを感謝をこめて振りかえることは、自分に影響を与えたものを確認することでもあります。

テレビで空想特撮シリーズの洗礼を受けた少年のわたしは怪獣ごっこに明け暮れる日々をおくっておりました。たいていの男子はそんな感じだったでしょう。戦争の悲惨さも戦後の貧しい混乱期とも無縁な戦争をしらない世代です。個人的には差別もいじめもほぼ縁がありません。一度だけ銭湯で朝鮮人の二人組の子どもにからまれそうになった事があるだけです。平凡な日常の中でテレビに熱中し野を駆け廻る何も知らない何も知る必要のないような環境で育ちました。幸福なのかそうではないのか無知な子ども時代をおくったのです。

成人してから気づいたのは大切なことの多くをテレビから教わっていたという事実です。大好きな怪獣に対しても子どもの頃と今とではその認識が根本的に違っています。

怪獣というのは大人の目線で見ますと<まつろわぬ民>の代弁者なのです。

まつろわぬとは、神々や体制に抵抗するもの、従わぬものを意味するようです。歴史の表舞台から去って、存在を抹消されているもの。

それは平和に暮らしていた心優しきものたちが虐げられて鬼になっていくような心の煉獄です。

大きな秩序に滅ぼされ淘汰されていく存在たちの声であり化身が本来の怪獣というものだと思うのです。

また人間の想念だけではなく、人の営みに破壊される大自然も自然災害という形の怪獣に変わるかもしれません。

そういった諸々の無念や嘆きや自然界の聖なる怒りが人間の集合無意識に蓄積されていく。

それはいつか人間の手によって光を当てられ、解消され浄化されるのを待っているカオスのエネルギーでもあります。

それらを形にした象徴が怪獣の本質であり、それを色濃く反映していたのが空想特撮シリーズでした。
空想特撮シリーズに関わった初期の優れたクリエイターたちが、

沖縄や東北といったまつろわぬ民ゆかりの地出身だったのもおそらくは偶然ではなく、その気質や資質から、

時代に選ばれた形の方々なのでしょう。

初期のすばらしい作品を生みだしたのちに沖縄返還を前にして不思議と現場を離れたり、鬼籍に入られたりしております。

上原さんはそうした初期のメンバーの中でずっと変わらずに長い間、まつろわぬ民の声を語り続けてくれた方でありました。

 

 

 

弱肉強食の人間社会はまつろわぬ民の無念の想いの上に構築されていきます。

大和朝廷に滅ぼされた原日本民族もまつろわぬ民でしょう。世界中どこでも時代と地域を問わずおこっている人間の哀しき営みです。

それは平凡な日常で起きる終わることのない虐めの現実の中にも現れてきます。
上原正三さんの数多い作品の中で、強烈な印象を残しているのが「怪獣使いと少年」というお話です。

当初、納品を拒否された『帰ってきたウルトラマン』の中のこの作品は一部シーンを撮り直して放送にこぎ着けたそうです。

しかも脚本の上原さんと監督を番組から追放するという条件付きです。

いじめをリアルに描いていること。部落・同和問題を想起させることだけでも問題を抱えているわけですが、

なぜメインライターであった上原さんが、その立場でありながら、そのような題材の脚本を書いたのか?

それはやはり金城さんとの関わりにその答えがあるようなのです。

 

闘う神マルスの否定形ノンマルト  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
金城哲夫さんが『ウルトラセブン』の時に書いた問題作に「ノンマルトの使者」があります。
なにが問題なのかというと、

実は人類こそ侵略者であった(かもしれない)という設定だからなのです。

かつて侵略者であった人類によって海底に追いやられたノンマルトという民族が現れる。ノンマルトは地球土着の争いを好まぬ民族です。

それは大和朝廷に滅ぼされた原日本民族の末裔が登場するというのと同じ構図なのです。

落ち延びた海底からも住む場所を奪われようとする平和主義者のノンマルトが人類の兵器をうばって報復に現れるというお話なのです。

ウルトラセブンが人類を守るためにノンマルトを退治するならば、侵略者を倒すはずのウルトラセブンが侵略者に手を貸す存在となってしまう。ウルトラセブンという番組の基本構造を根底からひっくり返してしまう問題作なわけです。
実は金城さんのこの「ノンマルトの使者」以前に、上原さんが<島津の琉球侵略>を題材とした「三百年の復讐」という物語を書いているそうです。この映像化されなかった作品が、金城さんを刺激してメインライターの立場を忘れたかのようなノンマルトの物語を書かせたとも考えられます。

同郷のこのお二方は互いに触発される形で交互に問題作を書いているように見えるのです。
上原さんがメインライターを務めた『帰ってきたウルトラマン』に帰郷した金城さんが1本だけ脚本を書いております。

それが<沖縄に配置されていた毒ガス>を題材にした毒ガス怪獣のお話でした。

そしておそらく上原さんが、金城さんのノンマルトと毒ガス怪獣という問題作のアンサーとして書いた、

いえ書かずにいられなかった作品が「怪獣使いと少年」という物語だと思うのです。

 

「怪獣使いと少年」のあらすじ

 

メイツ星(友の意)から密かに気候風土の調査に訪れた宇宙人が、偶然その場に居合わせたみなしごの少年を救うことになります。

少年に襲いかかる怪獣を地底に封印し、飢えと寒さに震えて、死にかけている少年を介抱して一緒の暮らしが始まります。
しかし宇宙人は地球の気候に馴染めずに身体は次第に衰弱していくのです。

河原のバラックで暮らすこの得体の知れぬ二人に危険な宇宙人の嫌疑がかけられて、少年はことある毎に虐めを受けるようになっていきます。そして老人の姿の病んでいる宇宙人は、無抵抗のまま、街の暴徒たちによって惨殺されてしまうのです。

ふたたびひとりぼっちになった少年は、老人が埋めた宇宙船をさがすために今日も河原を掘り返すのでした。

いつかそれに乗って地球にさよならをするために。
教訓めいたメッセージなどが描かれることもなく、

ただただやりきれない現実を提示したまま物語は幕を閉じます。

 

 

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ウルトラマンを滅ぼす物語 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 

注目したのはこの宇宙人の設定でした。

上原さんはかつてウルトラセブンを観測のため地球に立ち寄った存在として描きました。

そして帰ってきたウルトラマンの設定は、少年を助けた主人公に感動して一心同体となることでした。
つまり気象観測にやってきて、少年を助け、怪獣を封印する能力を持つこのメイツ星人は、これまで上原さんが描いてきたウルトラセブン、帰ってきたウルトラマンそのものの性格と設定が与えられているのです。

姿こそ醜いメイツ星人ですが、かれはウルトラマンと同じ救世主的存在として描かれています。

そして劇中でこの宇宙人を一般市民たちによって殺してしまっている。

上原さんはメインライターでありながら、そのような超人をある意味では否定しているわけです。
このお話は番組の主人公である理想世界の超人ウルトラマンの否定でもあります。

メイツ星人という宇宙人に置き換えて殺してしまっているわけですから。

 


 

ではなぜそのようにしてしまったのでしょうか?
現実世界はこの物語のように偏見と差別に満ちた時に暴力の支配する世界である。この世界で生き抜いていくためには、救世主に頼ることなく、ひとりでたくましてあってほしい。そう描いているのではないでしょうか。

金城さんがふたつの最終回で描いた人類の平和は人類自らの手でというメッセージともリンクしています。

この「怪獣使いと少年」はウルトラマンと怪獣がいなくても成立してしまうお話です。

怪獣使いというサブタイトルなので、いかにも使役されている怪獣のように思いますが、

メイツ星人とは関わりのない、ただそこにいただけの怪獣にしかすぎません。

ウルトラマンは性格の与えられていない暴れるだけの怪獣を役割通りに倒すだけなのです。

上原さんが訴えたい、許すことの出来ない暴力は、善良なはずの一般市民の心の中にありました。

疑心暗鬼・自己保身・集団心理が救世主の性格を与えられた存在を滅ぼす物語。

ここには人間が怪獣(=悪役)化するという逆転と、

救世主(=メイツ星人に置き換えたウルトラマン)が怪獣(=まつろわぬ民)に移行するというふたつの逆転があります。

同じく逆転劇だった金城さんの「ノンマルトの使者」へのアンサーなのでしょう。

上原さんがメインライターの座を脅かされる危険を冒してでも描きたかった物語なのです。

 

 

 

忘れてはいけないこと  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

金城さんの晩年のエピソードですが、海洋博時期の創作ノートにウルトラマンタロウのシールが貼ってあったそうです。

(※特撮秘宝vol.8/続・金城哲夫をさがして/P.241)

残していったシリーズに対して、自分が関わらなかったウルトラマンタロウに対してどんな気持ちを抱いていたのでしょうか。
沖縄と本土の架け橋になろうという尊い志。空想特撮シリーズで積み上げた実績と栄光。そこでの挫折や障害。沖縄劇を書こうにも沖縄人としての資質に欠けているという自覚。海洋博での地元民との不協和音。そしてアルコール中毒症という哀しい現実。身も心も引き裂かれてしまった金城さん自身が、まつろわぬ民に呼ばれてしまったかのような最後でした。

けれど金城さんが考えていたのとは別の形ですが、すでに沖縄と本土との架け橋になってくれておりました。

光の国とウルトラマン・ウルトラセブンという永遠の理想像を残してくれたからです。
上原さんは沖縄人として金城さんとは別の選択をします。
架け橋という理想を掲げずに、沖縄人として本土で生きていく道。それは現実世界で人のチカラを頼りにしないで逞しく生きていく誓いでした。

しかしそれが結果的に沖縄と本土との架け橋になったのではないでしょうか。
そして金城さんの「ノンマルトの使者」と上原さんの「怪獣使いと少年」は特に<まつろわぬ民の声>を色濃くすくい上げている作品でした。

それは子ども達の無意識レベルに大切なことを植えつけてくれました。

現実世界はまつろわぬ民の亡骸の上に建てられていることをメッセージしてくれていたのです。

生きていく中でけっして忘れてはいけないやりきれない現実があるということを。

 

パン屋のおねえさんという救い  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 

「怪獣使いと少年」に登場する街の人々の中でひとりだけ少年にやさしくした人がおりました。

それがパン屋のおねえさんです。120円でパンを売ってあげる。ただそれだけのことでした。

ただそれだけのことが人間には中々できないのです。

自分のいる場所をそっと静かに照らすような、そんなおねえさんの行為でした。

 

 

天涯孤独。独りぼっちになった少年がずっとあきらめずに掘り続けているものがあります。

それは少年にとっての理想の国メイツ星へ行くための宇宙船でした。

でもその姿は骨を拾っているようにも見えます。

怒りや嘆きや無念の想いを抱いて歴史の表舞台から消えてしまった人々の骨を。

まつろわぬ民を生み出してしまう哀しき人間の営みはこれからも変わらないかもしれない。

でもだからこそ人間は光の国という理想のビジョンを追い求めてしまうのでしょう。

愚かだからこそノンマルトや怪獣使いのようなまつろわぬ民のことを忘れてはならないと思うのです。