朝は少し薄日が射したりしていたが、
お昼近くになってどんよりしてきた。
雨が降るのかな
と思っていたら、
お昼を過ぎて今度は薄日が射してきた。
どっちなんだ…
きっと今日はどちらでもない日なのでしょう。
こんにちは。
日和山 明(*chiaki*)でございます。
どんよりした天気の日は気分もどんよりする。
そんな自分を持て余しがちだ。
けど、どんよりした日があっていいんだよね。
晴れの日もあれば雨の日もあり、曇りの日もあるように。
(沼津では雪の日はほぼほぼない)
(さびすぃ)
薄日が射すと少し蒸しっとして感じる。
お天気アプリで確認したらその時の三島の気温はたかだか25℃台。
もうこれで蒸しっと感じるからだになっていた(汗)
割と最近まで最高気温が30℃超えたりしていたのになあ。
* ・ ・ * ・ ・ *
…ちょっと待て。
私、もう既にすべてが許されてんじゃね?
今こうして生きてるのが何よりの証で。
昔、無印良品のA5サイズのノートにその時思うことを書きなぐっていた。
最近ではブログに書いたりTwitterでつぶやいたりするのでノートに書くことは少なくなったけど。
久方ぶりにその昔つけていたノートを読み返した。
まあ、なんていうの?
今以上に他者を責めまくり。
返す刀で自分をざっくり。
こりゃあこの人の人生、しんどい罠(汗)
で、
2006年〜2007年頃に書かれたものと、
2011年4月頃から書かれたものとがちょうど手元にあったのだが、
なんていうか、
その両者の間にある違い…
別人かな?(同じです)
たしかに東日本大震災は私の何かを変えたのだ。
で…
何故私の人生がダメな感じだったのかは一目瞭然だった。
私は
「自分は生きていていい」
「自分はこれでいいんだ」
という感覚をなかなか持てずにいた。
それ、
誰の許可も必要ないんすよ。
だってそれは厳然たる事実だから。
昔は母や何かの権威(または世間)にそれを求めていた。
つい最近、
いや誰かがダメと言っても自分がやりたいのならやればよくね?
ということに今更気づいた。
(前職での経験が大きい。もう戻りたいとは思わないが感謝はしている)
今、更に気づいた。
私、それを『現実』にも求めていた(汗)
今、思い通りに生きられていないとして。
たとえばお金が欲しいのに思い通りに入ってこないとして。
それを自分の存在それ自体が否定されていると捉えがちだった。
本当につい先ほど「あっ…」となったばかりだ。
今、思い通りに生きられていない。
今、思い通りにお金や仕事が入ってこない。
だからなんだ。
私は生きていていいし、
いつだって
私が素晴らしい祝福された存在でなかったことなどない。
何故なら今生きているではないか。
ここまで生き抜いてきたではないか。
困難が多い人生であった(と感じた)のであれば尚更。
その困難の中、ここまで生きていた。
生かしてもらってきた。
もし今この現実が答えだと言うのなら、
まさにこれが答えだ。
私は今日も生きている。
でもお金はたくさん欲しい♡
お金さんだ〜い好き♡
以上、
午前中にノートに書きなぐったものを加筆修正したものをお送りいたしました。
私は今日も生きている。
* ・ ・ * ・ ・ *
夕方になって晴れてきた。
からっとして感じる。
風が強い。そしてひんやりする。
気温が下がっているかと思いきや、25℃台だった…
計測値と体感気温は違うものだなあ。
今日も美しい宝物のような一日。
あなたも私もよく生きてます。
お読みくださいましてありがとうございます。