”踏むがいい”2020 | おかえりなさい。 〜豊かに、丁寧に、美しく。

おかえりなさい。 〜豊かに、丁寧に、美しく。

メールセッションと営業所事務の二刀流。ここでは心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくっております。あなたの美しさ、見せてください。

今日は午後からフダカオルさんのセッションを受けた。
3回セットの2回目。
情報量が半端なくて咀嚼に時間がかかっている。



こんばんはこんにちは。
日和山 明(*chiaki*)でございます。



もうね、
気分はこんな感じっすよ。




画像はようつべに上がってた動画より切り出しました
本当はやったらあかんことかもしれん



咀嚼しながらぼちぼちこちらにメモっていく所存でございます。
そう、こちらは私だけが楽しいブログでございますご了承のほどを。



で、

タイトルの『踏むがいい』。

これは遠藤周作の名作『沈黙』に出てくる台詞だ。
信仰とは
ということを深く問いかけられるこの作品の中でも肝の場面で出てくる。

初めてこの作品に触れたのは高校生の頃だったと記憶している。
教科書か問題集か模擬試験の読解文かで読んだ。
作品の一部分が抜粋されていた。
(これは後になって原作を読んで知ったことだが)

それがものすごくインパクトがあって、
ずっと記憶にあり続けている。



【参考までに】



だもんでこのブログでも取り上げて記事を書いていた。
それをリブログ。



上記記事を書いた時にはこの作品を『信仰のテスト』と取り上げていたようだ。
だから、
『踏むがいい』という神なる声を
「踏み絵を踏んで重荷を下ろしなさい」
と解釈したり、
「踏み絵を踏まずに処刑されていく信者たちを見て神が平気でいたと思うのか」
と解釈したりした。



で、
何故このことを今日書いているかというと。

今日のセッションのテーマは『自分と神との関係』となった。
その中で、私とキリスト教的な神とのこれまでの関係について明らかになっていった。
今世における、キリスト教的なものと自分との関わり。
また、これまでの過去世での(たぶん)関わり。
仙台・石巻と自分とをつなぐ符号。
サンファンバウティスタ号。
隠れキリシタン。

これまでずっと、
神的なものに自分を捧げてきた(らしい)。
そんな日々との決別への決意。



そんなこんなでセッション時間も終了という時、
ふとカオルさんが「スコセッシが作った隠れキリシタンの映画観ました?」みたいな話を振ってきた。
私は「『沈黙』ですかね?」とすぐにピンときて、リブログした記事で書いたような話をかいつまんでした。



そう、
これが今日のテーマだったわけですよ。

踏み絵を踏むのか踏まないのか。
踏み絵とは。
踏み絵=神 なのか。
神とは。
神とどういう関係でありたいのか。
神はどこにいるのか。



カオルさんには
生きなさい。
という声が聞こえたそうだ。

踏み絵なんてさっさと踏んで、自分の人生を生きろ。
それが神の望むことだ。

神は犠牲など望んではいない。
ただ、しあわせであればいい。
その人らしく。



神との関係はそのまま世界との関係で、
私は自分をなくして神に仕えるが如く、
他者と関わっていたようだ。
無意識のうちに、
相手が正しくて私は間違っている
と思ってしまっていた。

それに対して最近違和感を覚えはじめていた。
なんでそうなるのか。
何故無意識のうちに相手が正しくて私は間違っていると思ってしまうのか。

そういうことでした…



神は天にいるものと思い込んでいた。

神はとなりにいるのだ。
わたしかみさま。今あなたのとなりにいるの…



私に宿題が出された。

となりにいる神さまにとりあえず何でも話して願いを聞いてもらって自分の重荷を預けること。
神さまと自分を上下の関係に置くのではなく、
となりに、
同じ高さに置くこと。






そういえば実は一度もサンファンバウティスタ号を見に行ったことがないのだった。
カオルさんに驚かれたんだけど。
なんでも私を思い浮かべる時真っ先にサンファンバウティスタ号が思い浮かんでいたそうで。
これはいよいよサンファンバウティスタ号を見に行けというお告げかな。


残念ながら船内を見学することはできないけど、
外観だけでも見たら何かを感じるかもしれないな。



* ・ ・ * ・ ・ * ・ * ・ ・ * ・ ・ *

遠隔メールセッション
やっております。


あなたの美しさ、
あなたの強さ、
あなたの弱さまたはやわらかさ、

受け取れていますか?
そして
それを存分に発揮できていますか?

それらを主にトートタロットを通して改めて見える化していきます。

そこに表れるものはもしかしたら受け取りがたいものかもしれません。
私自身の経験でも、
それがあまりに美しく映るとかえって受け取れなかったりもします。
それふさわしくないと。

どうぞ受け取ってください。
それはあなたの宝物です。

その後遠隔ヒーリングを行います。
ぜひお受け取りくださいね。


* ・ ・ * ・ ・ *  * ・ ・ * ・ ・ *



もしかしたら、
3月の仙台石巻旅行は散らばった自分のピースを拾いに行く旅となるのかもな。
未だに宿だけが決まっている状態なんだけど。
仙台・荒浜と石巻・日和山公園には行くけどね。これは外せない。



せっかく今日は富士山の日だったというのに郷土の自慢には触れずに終わる(おい)



今日も祝福に満ちた豊かで美しい一日だった。
あなたも私もよく生きました。
宝物のような一日。

明日も祝福に満ちた美しく豊かな一日となる。



今日もありがとうございます。