My perspective vantage point イタリア
フィレンツェ 世界わがスケッチの旅 イタリア
今日の一枚は、イタリアのアルノ川添いの教会のスケッチ
私はパリを花の都と呼んで、これが世界でも一番なのかと思っていたが、どうもイタリアのフィレンツェも花の都と呼ばれて久しいのだと気付く。この花というのは、華やかな都という意味ですよ。雰囲気のことを表現しているのですよ。と現地のフィレンツエで囁かれてしまった。さらに、街のそこそこに、ルネッサンスを 開花させたメディチ家の紋章(百合の花と丸薬)を見かけるのでした。我が家のデッサン用に手にいれてあるのは、メディチ家の美しいお姫様の石膏の胸像がある。フィレンツエに行ったときは、彼女が暮らした宮殿で、今美術館になっている館が美術館になっているのでつい足が向く、広間の天井の色彩の美しいこと、まるで今年描いたのではないかと思うくらいだ。
さて、私のイタリアへの入国は、最初ミラノに入りベネチア、フィレンツエと南下のコースを考えていたのだが、その日は天候が悪くローマには着陸できないことに、それでミラノに引き返してしまった。ま~用意してくれたホテルがとてもいい部屋で、おそらく普通の旅行では宿泊できない高級ホテルであった。部屋の説明は省略するが、それで早朝からその飛行機でローマに行ったのである。さて、フィレンツエの街を復習してみると、ベネチアからのバスルート、ローマからの列車を考えるのだが、空港からしてローマからの方が景色が面白い。テルミニ駅からはエウロスターイタリア(ES)と呼ばれる高速列車に乗ってフィレンツェに行きます。ローマのテルミニ駅からフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅までの所要時間は1時間40分です。フィレンツェに向かうESの車窓には、のどかなトスカーナの平原がつづき、あ~イタリアだな~と見とれるのでした。
フィレンツェは、もともとエトルリア人が暮らす集落であって、そこに1世紀頃ローマ人が殖民都市を建設し、「花の女神」を意味する「フロレンティア」と呼びました。英語ではフロレンスが言いやすい。その後、ローマ帝国の衰退の後、15世紀になるとメディチ家の庇護の元で、ルネサンスの花畑となります。ドゥオモのクーポラを設計したブルネッレスキやドゥオモの脇に建つ鐘楼を設計したジョットをはじめ、フィリッポ・リッピ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの多くの芸術家が活躍したのです。フィレンツェは1865~1871年にかけてイタリア王国の首都でした。
さて、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を出て、なんかさ、ごみごみしてね、と思いながらフィレンツェの中心に向かって歩くと、フィレンツェのシンボル、ドゥオモが見えてきます。どうも、どうもと言いながら、「ドゥオモ」というのは、司教座が置かれている大聖堂を意味しているとも知らずに、お堂のことだと思っていたのです。(ウソ~)さて、今日の一枚と関係ないので、、、、。
美しいアルノ川が街のなかを、東西に流れ両側の旧市街の丘や町並みと教会の風雅な情緒をスケッチしない手はないのです。美しいクーポラのドゥオーモとジョットの鐘楼、市庁舎であるヴェッキオ宮など目につく建物は、この次にして、私は静かにたたずむ川添いの教会の風景が、この上なくスケッチのモチーフに適している、と言うよりそれが持っている歴史の深み、重みが人々のくらしを見つめてきたのだと感じるまでに表現を、わざとらしくないように自然にそのまま描くのが私の描画の際のMy perspective vantage pointなのです。
アルノ川添いの教会 左 レイアウト印刷後 右