ロワール川流域のユネスコ世界遺産に登録されているエリアです。
川の距離にして280kmの広大なエリア。
世界中から観光客が訪れる代表的な古城に絞っても20以上ある。
歴代フランス国王の居城だったアンボワーズ城やブロワ城、ルネサンス様式の庭園が見事なヴィランドリー城、ロワール・ワインの産地にあり、ジャンヌ・ダルクゆかりのシノン城など、様々な歴史的に思い出される地方である。
たった1日の観光ですべての古城を観るのは不可能、そこで思うに必見の古城ベスト3は何か。
フランス・ルネサンス様式の最高傑作として名高いシャンボール城、
ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが暮らしたクロ・リュセ、
そしてフランスでベルサイユ宮殿に次ぐ来訪者数を誇る優美なシュノンソー城の3つである。
ロワール渓谷の森のはずれ、ソローニュの湿地帯に建つシャンボール城は、
ロワール渓谷に建つ古城の中でも最大の広さを誇り、ロワール一帯が世界遺産に登録される以前から、単独です
でに世界遺産に登録された。
建設を決めたのは、若きフランス国王、フランソワ1世(1494~1547年)。王家の居城としてアンボワーズ城とブロワ城がありましたが、“狩猟用の別荘”として、1519年に着工した。
当時の最先端、イタリア・ルネサンス様式を取り入れ、自らの権威を象徴する城だった。
彫刻が彫られた800以上の塔、精巧な装飾が美しい屋根など、技巧を凝らしつつ、バランスのとれた建築美で、中世フランス建築をベースに、初期のイタリア・ルネッサンス様式をあわせたつくり。
ヨーロッパ覇権を各国が争った中世の時代、シャンボール城は完成したのはルイ14世の時代だった。太陽王も、ここで盛大な狩猟のパーティーを開催した記録がある。
私の絵の師匠とも希望したいほど、注目したいのは、シャンボール城の設計には、フランソワ1世が敬愛し、その晩年を庇護したイタリア・ルネサンスの天才芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチがいた。
巨匠ダ・ヴィンチが暮らした館で、天才の足跡を辿る旅を クロ・リュセ(クルーの館)
イタリアとの戦いに明け暮れる一方で、芸術を庇護したフランソワ1世は、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチを「まるで戦利品の如く」フランスに招き、フランス王家の居城だったアンボワーズ城から500mほどにある館に住まわせた。
これが現在のクロ・リュセです。
ダ・ヴィンチがクロ・リュセで暮らしたのは1516年から亡くなる1519年までの晩年の日々。
「王の第一画家・建築家・技術者」という肩書を与えられ、創作活動をした。
クロ・リュセでは、館内と庭園で、ダ・ヴィンチの作品や、日常生活の様子が再現された空間を楽しむことができる。仕事部屋だった書斎には、デッサン画やクロッキーがたくさん残っている。
また現在、ルーブル美術館に展示されている名画「洗礼者ヨハネ」を仕上げたというアトリエもある。
ちなみにダ・ヴィンチは、故郷イタリアからフランスにやってくる際、この絵の他に「モナ・リザ」と「聖アンナと聖母子」(いずれもルーブル美術館所蔵)をクロ・リュセに持参した。
1519年5月2日、ダ・ヴィンチはクロ・リュセの自室で、67歳の生涯を終えました。
ダ・ヴィンチの亡骸は、現在、アンボワーズ城内のサン・テュベール礼拝堂に埋葬されています。
美しい建物とバラの庭園 シュノンソー城
シェール川を横切る屋根付きの真っ白いアーチ橋が印象的なシュノンソー城。
フランソワ1世の次男で後継者、アンリ2世(1519~1559年)の時代以降のお話。
アンリ2世の寵愛を受けたディアンヌ・ド・ポワチエは、この水辺の館がとても気に入り、川の対岸まで続くアーチ橋を建設。果樹や野菜、花の庭園も整えました。
館内にも、必見の芸術作品が豊富です。
ヨーロッパを代表する絵画の巨匠である、ムリーリョ、ティントレット、ニコラ・プーサン、コレッジョ、ルーベンス、ヴァン・ダイクなどの作品が飾られている。
広大なお城の敷地内にある、個性豊かな庭園の数々が必見です。
ベルナール・パリッシー設計の「緑のガーデン」の奥には、レストラン「オランジュリー」があり、3月上旬から11月中旬にかけて、昼食のみ営業。午後のお茶を楽しみたいもの。
そして庭園の中でも必見は、2つの庭、「カトリーヌ・ド・メディチの庭」と「ディアンヌ・ド・ポワチエの庭」です。何種類もの、四季折々の花が4万種類も植栽されている。
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