父の暴力は、母だけでなく
兄、そして中学生になった私にも
続いていきました…
こんにちは!
白衣を脱いだ看護師の
大路 怜々(おおじ ねね)です♪
今回もブログをお読みいただき、
ありがとうございます。
親の事から学んだ
わたし自身の心の変化を綴ります。
前回のブログ
の続きです。
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六畳一間の、古いアパートで親子4人
貧乏で、しかも父の暴力が続く家族不仲の中、
私が小学6年生、11才の冬
新年が明けてすぐの1月8日の事でした。
また、母を殴る父の怒鳴り声が
下階の共同炊事場から聞こえました。
母親が泣いています…
もう、親の喧嘩の声は聞きたくなくて
耳を塞いでいたけど
でも
母の事が気になり
父が部屋に戻ってきてから
下階に急いで降りてみると
顔が腫れ上がっている母から
こんな言葉を言われました。
「もう、このままではあかん…
お母さん、家を出るね。
あんたら2人を一緒に連れて行きたいけど
そんなお金はないから…
近所の(遠縁の)おばあちゃんに
ひとりで家を出る事を伝えておくから
何かあったら
おばあちゃんに相談するんやで。」
母親 家出事件、勃発です😨
母は、兄には何も言わずに
そのまま家を出て行きました。
母は私にだけ
家を出る事を話したのです。
私は父にも兄にも
母の家出の事は、知らないふりをしていました。
・・・・・母が出て行った後、
それを知った父と兄がどんな様子だったのか…
パニックになっていた…(かな?😅)
あれっ?
実は
ここのところの私の記憶がありません😨
今、その当時の事で思い出せるのは…
●「今度、あいつ(母)を見たら殺してやる!」
と、酔っ払って吐く父の言葉😵
父の実家にて家族会議になった時、父の兄である叔父から
「けいこは〇〇(母の名前)が何処におるんか知ってるって聞いたで。正直に言ってみぃ!😠」
と、カマをかけて言われた事。
↑
ほんまに知らんから、「そんなん知らん!」とムッとして言い返しました(笑)
携帯電話などは まだまだ遠い時代…
貧乏な家には 固定電話すらなく
私は母が何処にいるのか
生きているのかもわからず
母を信じて 連絡を待つのみでした。
私が母の居場所を知ったのは、
母の家出から数ヶ月後
中学に入学して以降でした。
遠縁であり近所に住む、かまぼこ屋さんのおばあちゃんの所に母が連絡し
家出から数ヶ月後、久々に隣街で
母に会うことができました。
もちろん、兄も一緒に。
その頃の事を、数年前に兄と話していた時
「お母さんが家出してしばらくしてから、親父(オヤジ)も俺らを置いて、突然居なくなったやん!お前、覚えてないん???」
( ̄▽ ̄;)ウッ
私は全く覚えてない…(汗)
・・・・・
母が家出して数ヶ月してから、
私達兄妹をアパートに残し
父も家を出たようです( ̄▽ ̄;)
父が失踪した事を近所に住む
遠縁のおばあちゃんに相談し
結局
その一人暮らしのおばあちゃんの家に
兄と2人でお世話になる事に。
母は、父にバッタリ出会う事の無いであろう
2、30km離れた温泉地で住み込みで勤め
私達の食費や学費、生活費を稼いで
おばあちゃんに送ってくれました。
その失踪した父は
数ヶ月後にふらっと
アパートに帰ってきたようでした。
が、
近所のおばあちゃんの所に住まわせてもらっている私達の生活費は入れず仕舞い。
私達を養う…という気持ちが全くない状態でした。
その反対に
たまーに私と父が道でバッタリ会った時は
「お前、金持ってるやろ?タバコ銭くれ❗️早ぅ、くれ‼️」
と、私に言う始末😵
もう、何というオヤジだ‼️😠
私も腹が立って腹が立って…
怒り心頭状態となり😡
父に口で言い返すと・・・・・
キタキタキタ〜
私をボコボコに殴るぅ蹴るぅ〜😫💦💦💦
母と同じように、娘の私に対しても暴力…
(今から思うと、私も父にくってかかったのが良くなかった😵💧)
私の左腕には父が武器として持っていた
硬く尖った鍋置きで擦られたその時の傷が残っています。
お金の面でも
父は近所に借金をして💦
しかもそれがエスカレートし、
面識のない兄のお友達の親御さんに
「お金貸して」と、家にまで押し掛けるのです。
何とも恥ずかしい…(-。-;
本当に心の底から
父に対して
恨みつらみ
憎い
腹立たしい
情けない…
いろんな感情が渦巻きました🌀
「早く こんな父親の住む街から離れたい!」
いつもそう思いながら
遠縁のおばあちゃんの家でお世話になり
それはそれは暗く悲しい
中学、高校時代を過ごしました
辛い中でも
いつかは良い事があるだろうし
神さまはきっと見ていてくださっている…
と、希望を持ちたくて
小学生からの夢であった
「私は心を看る看護師になりたい!」
そして
「幸せな結婚をして良い人生を歩みたい!」
と、明るい未来を抱いて
高校卒業と同時に
父から逃げるように、
私は大阪へ旅立ちました。
思い出したくもない父の事は
全て封印しようと
心の奥底に閉まっていました
が、
二十数年後、その大阪で
父のこと・私の感情の
封印が解かれることになるのです。
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