ポジティブは愛(多愛)ですが、
ネガテイブも愛(少愛)だと知ったのは
数年前の事でした
こんにちは!
白衣を脱いだ看護師の
大路 怜々(おおじ ねね)です♪
今回もブログをお読みいただき、
ありがとうございます。
親の事から学んだ
わたし自身の心の変化を綴ります。
前回のブログ
の続きです。
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わたしは、車で5時間かけて🚗
田舎の父に日帰りで会いに出かけました。
5時間の道中、田舎で過ごした高校卒業までのイヤな記憶が走馬灯のように出てきて
母が父から殴られてる姿や、兄や私も殴られて隣近所の家に逃げて囲ってもらった事…など
様々なことが頭の中をぐるぐる駆けめぐりました。
暴力ばかりだった父は
あれからどんなふうに変わってるんだろう…
父の住む古びた木造のアパートは
熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社、
神倉神社の近くにありました。
役所の生活保護課の方から電話で聞いた住所の玄関前には、古い自転車と厚紙で書かれた表札が貼ってありました。
父はまだ自転車に乗れるんだ、と少し安心しました。
古い建物にはドアチャイムはありません。
恐る恐る、玄関の引き戸をコンコンと叩き
震える声で小さく
「こんにちは」と言うと…
顔がシワシワで、年齢より10才くらい老けて見える父が、ゆっくりと玄関から出てきました。
「ねね か?」
「うん…」
そう言い合った瞬間に、父も私も
目が涙でいっぱいになり
23年ぶりの再会に 声をあげて泣きながら
思わず近付き ハグをしていました。
今回
わたし達親娘の「血」が、「縁」が、
ハグさせてくれたんだなぁと感じました。
父は突然、
「乾杯の盃や!」と、
小瓶の白ワインとグラスを持って来ました。
父はわたしが来ると聞いて、とても嬉しかったのでしょう。用意して待っていてくれたんですね。
ただ、わたしは車の運転と日帰りの予定でお酒が飲めない事を伝えたら、ちょっと寂しそうな顔をしていましたが、
朝炊いてタッパーに詰めた
お土産の 栗ご飯を手渡すと
喜んでその場で食べてくれました😊✨
それから
わたし自身も離婚した過去を伝え、娘2人の写真を見せました。
すると父は
「お前、ひとりで子供育てるの、大変やろう…」
と言ったのです。
その時、わたしは心の中で
「その言葉、お母さんに言ってあげて欲しかった!お母さん、私達2人を育てるのに必死になって働いてたのに…」と少しだけムッとしました。
後から考えると
父も母に逃げられて2人の子供をひとりで養わないといけなくなり、家の事も何もかも放って自分も逃げたくなったのだろう…娘であるわたしの事を心配してくれて出た言葉なんだろうなぁとも感じました。
父は用意していたワインをひとりで飲み始め、暫くすると、時々親戚の愚痴や意味不明な言葉を言い出しました。
認知症で精神薬服用中と役所の方から聞いていたので、愚痴をなだめながら、これはあまり長居をしない方が良いと感じ、40分程経った頃に帰ることにしました。
「もう、帰るんか…」
ちょっと悲しそうな表情に見えましたが
次は娘と一緒に来ることを約束し
手紙が書きたいとの事で、わたしの住所を伝え
その日は大阪に帰りました。
父は、あの あいりん地区の患者さんと同じような気持ちで、長い間ひとりで過ごしていたのだろうなぁと想像すると、その寂しさや過去の反省や後悔の氣持ち等が伝わってきて
山道を運転しながら
ひとり涙が止まらなくなりました。
涙がいっぱい流れたからか
もう恨みとか怖いとか、そんな感情が無くなり
父への感情が
【赦し】(ゆるし)に変わっていました。
そして、その赦しから
実は
あの暴力や過去のひどい出来事は
父からの深い愛だった
ということが、後になってわかってくるのです。
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