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【フランス】世界遺産・モン・サン・ミッシェル旅行記

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3年ほどドイツで駐在員をしていました。これは2016年7月の旅行記です。

私たちは当時、ドイツのデュッセルドルフという都市に住んでいて、フランス北部にあるモン・サン・ミッシェルは随分遠かった・・・けど、頑張って車で行ってきました。

あ、運転はずっと旦那です。いつも運転ありがとうm(_ _)m

モン・サン・ミッシェルとは

モン・サン・ミッシェルは、1994年にラムサール条約に登録され、1979年には島全体、2007年には周辺干潟を含む緩衝地域が世界遺産に登録されている場所です。

サン・マロ湾上に浮かぶ小さな島全体が「モン・サン・ミッシェル(Mont Saint Michel)」です。島の名前なんですね^^

島内にはお土産物屋もたくさんあり、すっかり観光地の雰囲気ですが、中世以降フランスの代表的なカトリック巡礼地なんだそう。

島の中央に修道院があります。修道院の建物だけがモン・サン・ミッシェルじゃないよ、という。

ファミマで買ったこの本によると、

世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る

モン・サン・ミッシェル近隣に住んでいたオベール司教が、708年、大天使ミカエルより「あの岩山に我を祀る聖堂を建てよ」とのお告げを受けたと。夢で。(p.49)

かつては「トンブ山」と呼ばれていた岩山。聖堂を建てたことで、「聖ミカエルの山」を意味する「モン・サン・ミッシェル」と呼ばれるようになった、と。(p.49)

「トンブ」という名称は、先住民族ケルト人がそう呼んであがめていたものだそうで、「墓」の意だとか。「モン・トンブ」で、「墓の山」。(p.30)

※()でページを書いているものは、本の内容を元に私がライトにまとめています。

初めはこのお告げを信じなかった司教だが、大天使ミカエルは再び夢に現れる。三度目にはついにしびれをきらし、司教の頭に指を入れて稲妻を走らせたという。翌朝、自分の頭に穴が開いていることに気づいた司教は、急いで聖堂の建設に着手した。
 そして、お告げ通りの場所に聖堂が建てられると、それまで陸続きだったその場所は、一瞬にして海に囲まれた。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.49

司教・・・ミカエルに頭穴あけられたのか・・・(゚Д゚;)

オベール司教が作ったのは礼拝堂で、その後修道院を作ったのは別の人物らしいが。(本にその情報はなかった)修道院の建築は966年に始まったと。

陸続きだった土地が海に囲まれるとか、神話の世界ですね。おもしろい。

ちなみに「ミシェル」は「ミカエル」のフランス語読み。英語ならマイケル。

ミカエルは四大天使の一人でトップオブ天使。最も偉大な天使。ほかにラファエル、ガブリエル、ウリエルがいます。漫画やゲームが好きな人はどこかで見聞きしてると思われ。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の経典に登場する大天使ミカエルは、ヘブライ語で「神のごとき者」を意味する。
 その名のとおり、神に最も近い存在とされる天使だ。カトリックでは、ラファエル、ガブリエル、ウリエルとともに四大天使の一人に数えられており、知力、武力ともに優れているとして、すべての天使を束ねる総司令官を務める。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.51

ミカエル=火、ラファエル=風、ガブリエル=水、ウリエル=土と記憶してたけど、もしやこれは漫画やゲームの設定上のイメージなのだろうか?(^^;

海に囲まれ完全な孤島となる神秘的な場所…のはずだが

島をとりまく干潟の干満差が激しく、満潮時には完全な孤島になるらしい。

そのタイミングで見ることができたら、さぞ神秘的で、ファンタジーの世界に浸れることでしょう。

一日中島にいれば、どこかのタイミングでその光景を見れるかな?と思うじゃない?残念ながら実は結構難しいんです。

↑の記事によれば、島が完全に海に囲まれる光景が見られるのは、なんと年間20日ほど、とのこと。

我々はそんなこと知らずに行ったよ。島内のホテルに泊まったよ。見れるかな?って期待してたけど、見れなかったよ。

どのみちタイミングを合わせて旅行するのは無理だったけどね。

さすがに遠いので途中の町・ルーアンで一泊

一気に行こうとすると一日移動だけになってしまうので、初日はルーアンという町で一泊しました。

街並みが美しく、夜の大聖堂のプロジェクトマッピングが素晴らしい。

百年戦争で活躍したジャンヌ・ダルクが処刑された地で歴史的にも重要な町。ジャンヌ・ダルク教会もある。

・・・との事なのですが、結局ホテルでゴロゴロして終わりました(;´∀`)

せっかく地図もいただきましたが。

子供も小さかったしね・・・ごめんなさい(-_-;)

動画見つけました。綺麗ですね。

泊まったのは「ノボテルホテル」というチェーン。ビジネスホテルみたいな感じなんですが、居心地がよくて複数の観光地で利用してました。

あ、道路事情について。

ドイツやオランダ、ベルギーとかの高速道路は無料でそのまま走れるんですが、フランスの高速は有料で、日本のようなゲートがあります。

いつか車で行く可能性がある方は頭に入れておいてね。

いざモン・サン・ミッシェルへ!

モン・サン=ミシェル
あまり天気が良くなかった。。

モン・サン・ミッシェルへ個人旅行で行く場合、泊りがけで行くと思うんですが、ホテルは島の対岸にも島内にも色々あります。

島内のホテルだと一気にお値段が上がります・・・(^^;

島内はアップダウンが激しくて、荷物を持っての移動も大変。島内のホテルは施設が古いところが多く、快適さと安さを取るなら島近隣のホテルの方がベター。

・・・という情報は、事前にリサーチしていました。

が、せっかく行くなら島内に泊まりたい!という旦那の強い希望で島内ホテルを予約。

オテル ラ クロワ ブランシュ(Hôtel la Croix Blanche)さんに泊まりました。

Hôtel la Croix Blanche

予約したお部屋がたまたま、2階があるような構造で。子供が大喜びで階段の上り下りをして、付き合うこっちは部屋の中でクタクタになった思い出(笑)

ホテルの窓からの眺め
ホテルの窓からの眺め
モン・サン・ミッシェルの干潟
これはホテルからだっけ?干潟きれい。

このホテルはレストランと一緒になってるタイプで、チェックイン時は1階のレストランで受け付けてくれた・・・けど、チェックアウト時は、1~2軒?離れた場所にある建物の2階にある事務所での受付で、色々戸惑ったよ(^^;

場所が分からなくて、レストランの店員さんにジェスチャーで教えてもらった(笑)

なんか色々大変だった(^^;

でも、夜のモン・サン・ミッシェルは本当に綺麗だった・・・!大奮発して島内ホテルに泊まってほんと良かったなぁと。

夜のモン・サン=ミシェル島内
夜のモン・サン=ミシェル島内
夜のモン・サン・ミッシェル 大砲
夜のモン・サン・ミッシェル 門

本によれば、入り口付近の大砲(写真3枚目)は、百年戦争のときにイギリス軍が置いていったものをそのまま展示しているんだそうな。(p.55)

モン・サン・ミッシェルは要塞になっているよ。戦争があったから。

モン・サン・ミシェルでは、修道士やフランス軍兵士たちによって島の要塞化が進められていた。その結果、修道院は、東西に築いた堅固な城壁と潮の干満や激しい潮流に守られ、一万五〇〇〇人のイギリス軍兵士の攻撃を受けても陥落することはなかった。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.55

百年戦争の終結後も、約100年後の1562年~の宗教戦争でモン・サン・ミッシェルは要塞として使われ戦場となったと。でも9回も攻撃を防いで、陥落を免れたそう。(pp.60-61)

1789年に始まったフランス革命の際には、修道会は解散させられるわ修道院は監獄として使われるわで、なかなか散々な歴史を歩んできたようです・・・。(pp.62-63)

その後、1863年まで監獄として使われていたと。当時、ユゴー、モーパッサンら作家たちが島の使い方を非難した事がきっかけで島が再評価され、当時の皇帝ナポレオン3世が監獄を閉鎖したと。(p.65)

1874年にフランスの歴史的記念建造物に指定され、本格的な復元が始まった、と。(p.65)

よ、よかったね・・・(ノД`)・゜・。

ライトアップされた修道院も撮ってきました!

まだ子供が小さかったので、旦那に子供をお願いして、私一人でぷらっと散策して撮ってきた写真です^^

↑この写真、写真ACに投稿しています。

駐車場はちょっと厄介だった

ちょっと話が前後しますが、駐車場のこと。

車は島外の駐車場をホテル経由で予約しておきます。島内への移動は徒歩/シャトルバス/馬車です。

モンサンミッシェル
対岸から。まだまだ遠いモン・サン・ミッシェル

専用の橋で3kmくらい?歩くと40分前後かかります。

モンサンミッシェルの馬車

馬車は徒歩より、ほんの少し早いくらい。

シャトルバス

シャトルバスだと約12分。

情報古いですが、当時参考にした駐車場に関する口コミ↓

モンサンミッシェルの新駐車場について!

2017年の記事で体験談を見つけました。↓

参考記事にもあるように、宿泊者用の駐車場に行くためには、ホテルからアクセスコードを事前に聞いておく必要があるんです。

ホテルから駐車場のアクセスコードの連絡メールが来たのは、宿泊日当日(゚Д゚;)

メール

宿泊予約キャンセル無料期間が過ぎるまでは連絡しないシステムなのか、当日限り有効なコードなのか。

前日にwifiが使えるホテルに宿泊してたからメールを見られたけど、そうじゃなかったら大変だった・・・(^^;

スマホは持ってたけどsimはドイツ国内のもので、モバイルネットワークはドイツ以外で使った事なかったんだよね。

電話で聞くのはハードルが高すぎる(笑)

2014年以前は、島内へ続く道路と島内駐車場が存在した

以前は島内へ続く道路があって、島内に駐車場までありました。

本の写真を引用させていただきますm(_ _)m

モンサンミッシェル島内のかつての駐車場 出典:『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』

当然、大昔はというと、そんな道路は存在しなかった。なぜ道路が作られたかと言うと、

「モン・サン・ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」と伝えられるほど、その道のりは過酷なものだった。島を囲む干潟が、巡礼者たちの行く手を阻むからである。干満の差は十五メートルにも達し、満ち潮が押し寄せる速度は「馬の駆け足」と例えられたほど。そのため、多くの巡礼者たちが潮に飲まれて命を落とした。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.39

たくさんの人が命を落とした。そこで、道路が作られた。

 一八七七年、こうした事故を防ぐため、島と対岸の間に堤防道路が建設された。さらにその後、島のふもとは埋め立てられ、観光客用の駐車場が造られた。
 しかし、一九八〇年代に入ると、島を取り巻く自然環境に徐々に変化が現れ始めたのだ。建設された道路や駐車場によって潮の流れがせき止められ、約二メートルもの砂が堆積。そのため潮流に変化が生じ、湾が陸地化していったのである。この問題は浅瀬の動物たちに悪影響を及ぼし、海上に浮かぶ島の姿も滅多に見られなくなってしまった。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.86

ちょっと引用多めになっちゃいましたが。大事なところなのでご容赦をm(_ _)m

このような経緯から「モン・サン・ミシェル海洋環境復元プロジェクト」が立ち上がり、今現在のような橋が造られた、と。

『地球の歩き方 フランス(2016~17)』によれば、堤防となっていた道路は2015年夏に完全撤去されたとのこと。(p.288)

私たちが訪れた2016年には、タイミングさえ合えば孤島となるモン・サン・ミッシェルを拝めるくらいにまで環境が改善されていた、ということなんですよね。

ちなみに、潮の満ち引きの時間は、橋の付近に注意書きの看板がありました。

モン・サン・ミッシェル 潮の満ち引きの時間情報

フランス語とドイツ語のみだったけど・・・(;´∀`)

ドイツ語ちょっとは勉強してたけど・・・英語あっても良くない?(笑)フランス人は英語がお嫌いって本当なのかな・・・?(^^;

ちなみに、潮が引いているタイミングで、干潟を歩くガイドツアーがあります。

ツアー関係なく勝手に歩いてるっぽい人もいるけど、これはやめた方がいいらしい。潮が満ちてくるときはあっという間だし、過去にそれで死亡事故とかもあったという噂。

島内散策をして、名物料理を食す

夜のモン・サン・ミッシェルはきれい。本当に美しい。

昼間の島内の雰囲気は・・・人が多くて、ちょっとゴチャっとした印象。

パパ
パパ

なんか…ちょっと江の島っぽい…

ちょ、、(゚Д゚;)

そりゃ大人気の観光地ですから。お土産物屋さんもたくさんあるし。

モン・サン・ミッシェル島内
モン・サン・ミッシェルお土産物屋さん

モン・サン・ミッシェルと言えば、オムレツが有名です。

一番有名なのが「ラ・メール・プラール」というお店。100年以上続く歴史ある有名店。

1888年、プラール夫妻が宿を開いたと。

お腹を空かせた人々のために簡単で素早く提供できる料理はないかと考案したのが、今や店の看板メニューとなっているオムレツである。
 栄養価が高く少しでも空腹が満たされる食事を、と考案されたこのオムレツは、念入りに泡立てた卵が生み出すふわふわの食感とボリュームが特徴。味付けはバターと塩のみとシンプルだ。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.107

名物オムレツの「元祖」のお店なんだね。

・・・でも、ごめんなさい。このお店では食べなかったんです・・・(^^;

と、言うのも。

・・・お高い・・・(;´∀`)

お店の外からメニュー表は見れました。

日本人観光客が相当多いのか、ご丁寧に日本語でも書いてありましたが。

セットメニュー65ユーロ。「モン・サン=ミシェル伝統のオムレツ」単品で26ユーロ。

※あくまで2016年のメニューです。今は分からない。

本の情報・・・「味付けはバターと塩のみとシンプルだ。」が気にかかる。

オムレツは、他店でも提供されています。・・・ので、他のお店で食事をさせていただきましたm(_ _)m

大変申し訳ないことに、どこのお店だったか、お値段とかも覚えてないのですが。。

モンサンミッシェルのレストランにて

子連れだったからか、店員さんがスノードームをプレゼントしてくれました(*´ω`*)

スノードーム

オムレツ頼みました!

モンサンミッシェルのオムレツ

オムレツっぽくないけどオムレツだよ!お味は・・・シンプルだった記憶です、はい。

羊肉のお料理♪

羊肉

臭みとか感じず美味しかった記憶(*´ω`*)

モン・サン・ミッシェルと言えば、草原に羊がいることでも有名なんですよね。

豊富な魚介類はもちろん、海の塩分とミネラルを含んだ地味豊かな大地で育てられた子羊の肉は「プレ・サレ」と呼ばれ、ほかに類を見ないおいしさと風味を誇る。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.71

草原内では多くの羊を目にすることができる。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.71

・・・羊、いなかったけどね。私たちが行った時は。ただの一頭も。

モンサンミッシェル対岸の草原
モン・サン・ミッシェル対岸に広がる草原

ムール貝も有名だよ。

ムール貝

ヨーロッパのムール貝の蒸し焼きは本当においしい。日本に帰国後同じメニューがあったから頼んでみたことあるけど、味が結構違ったんだよね。

ただ、ヨーロッパで食べるにしても、季節的には「R」の付く月が特に美味しいらしい。September、October、November、December、の9月~12月の方がいいみたい。

↑「R」が付く月の話は、旦那が会社の人から聞いたらしい。

ちなみにドイツでも秋冬にムール貝食べられます^^おいしかったよ~!

モン・サン・ミッシェルのオムレツ用フライパン

そうそう、お土産物屋さんでフライパンを買いました^^ただ、これまでに一度もこれでオムレツを作ることなく、完全に観賞用になっています(^^;

修道院の外観と内部見学

外観を眺めるだけでも美しいモン・サン・ミッシェル。

モン・サン・ミッシェル

計算されて生み出された美しさなんだってさ。

中央の尖塔を頂点に、その左右の裾野はほぼ等しく延びている。この二等辺三角形のシルエットが、建物の美しさを生み出しているのだ。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.73

公式サイトはこちら。

私たちは、当日並んでチケットを買って見学しました。

ベビーカーは厳しいよ。子供は抱っこか歩きでね。

モン・サン・ミッシェルは長い年月をかけて徐々に造営されてきたから、その時代の建築様式が混在してるんだとか。

主にロマネスク様式とゴシック様式で造られているモン・サン・ミシェル修道院。

(中略)

現在、モン・サン・ミシェルのロマネスク建築は、修道院付属教会の身廊(聖堂内部中央の細長い広間の部分)と中層にあるサン・マルタン地下礼拝堂に残されている。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.77

とりあえず写真は順番に載せていきます^^

最初、ファンタジー感満載な装飾の写真を撮ってた。

ドラゴンの手・・・?
装飾カッコイイ(*´ω`*)

尖塔のてっぺんが見えました。大天使ミカエルの像が祀られています。

モンサンミッシェル

見辛いかな?ここです、ここ。↓

モンサンミッシェル 天使ミカエル像

このミカエル像は1897年に掲げられたものなんだそう。(p.83)意外と最近。

途中、テラスのような屋外に出ました。

なんとなくパノラマ撮影

しばらく景色を堪能して、先へ進みます。

しっぽ・・・?

中庭に出ました。

モンサンミッシェル見学
モンサンミッシェル見学

この辺は「ラ・メルヴェイユのゴシック様式」なんだそうだ。

モン・サン・ミシェルで代表的な建物は、修道院の北側に位置するラ・メルヴェイユだ。「驚異」を意味するこの場所は、修道士たちの居住空間として一二二八年に完成した。
 「驚異」と呼ばれる所以はその美しさにある。なかでも必見なのが、山海の回廊だ。弧を描いた天井とずらりと並ぶ一三七本の円柱には、ロマネスク様式とは異なる緻密で華やかなレリーフが施されている。この柱に囲まれた中庭も開放的で明るい空間となっており、回廊の美しさをよりいっそう引き立てている。

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, pp.80-81

2本の柱を少しずつずらすことで、目の錯覚で回廊を実際よりも大きく見えるようにしているんだとか。(p.81)

開放的で明るい中庭がこちら。

モン・サン・ミッシェル ラ・メルヴェイユ 中庭

おおお・・・(*´ω`*)

・・・。

いや、美しいけどさ、このミラーボールみたいな巨大な球はなんだろうか?

ガイドブックに同じ場所の写真あるけどこの球ないし。説明もないし。え?なにこれ(笑)

続いて訪れた場所がこちら。

天井の謎のオブジェに気を取られていたけど、写真よく見ると、ここはロマネスク様式の「船底天井」かな?本に載ってる写真と天井が一緒。

弧を描いた木製の天井は、その形から「船底天井」と呼ばれている

株式会社ファミマ・ドットコム,『世界遺産モン・サン・ミシェルと北フランスを巡る』 発行人 武井誠(株式会社エンディング 出版編集部), 2013年, p.76

続いて訪れたこの場所は、「騎士の間」という名前らしい。

モン・サン・ミシェル 騎士の間
モン・サン・ミシェル 騎士の間

出たっ!また謎のミラーボールみたいな球!(笑)

『地球の歩き方』によれば、何本もの柱が上階の回廊を支えていて、修道士たちの執務室だったそうな。

修道院内部の解説は『地球の歩き方』の方が分かりやすく親切でした^^

その後も色々な所を通って、最後はテラスへ出ました。

テラスからの眺め
テラスから干潟を望む

内部見学の写真はこれで終わり^^

写真の撮影時間を確認したところ、見学時間はだいたい30分だったみたいです。

対岸のお土産物屋さんとレストラン

対岸にも、インフォメーションセンターやシャトルバス乗り場、レストラン、お土産物屋さん、ホテルと、いろいろあります。

島内と比べてスペースがあるからか、けっこう気持ちもゆったりできました^^

なかなか味わい深いオブジェも色々あり。

到着した日にお土産物屋さんに寄ったときは、フランス人の店員さんでしたが、帰る日にまた寄ったら今度は日本人の方がいました。

多分、日本人の団体客がいたので、ツアーがあるときには日本人スタッフがいるのかも?

お土産いろいろ買いました^^

旦那はオピネルの折り畳みナイフを買ってました。ここじゃなくても買えるけどフランス旅行の記念ってことで(*´ω`*)

ランチで入ったレストラン。

これもどこだったか覚えてないんだけど。。気軽に入れて、美味しかったです^^

最後に

ずいぶんと長い記事になってしまいました。

でも自分では、忘れかけていた細かい思い出も甦って満足(*´ω`*)

実はモン・サン・ミッシェルを訪れた後、別の町を旅行してから帰っています。

それが、以前記事にしたサルト・サーキット。

旦那が「一生に一度は行ってみたいサーキット」だと言っていて。ためしに場所を調べてみたら、モン・サン・ミッシェルから意外と近かった(笑)

ご興味ありましたら、サルト・サーキットの記事もご覧ください^^

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