文政8年(1825)の江戸時代後期には、当時の文人たちが月一回集って、自らが見聞きした珍談奇談…現代でいうところの都市伝説・オカルト話を披露し合う「兎園会」という会がありました
その兎園会で話された内容をまとめたものを「兎園小説」といいます。
その兎園小説の中で紹介されているお話の1つに「うつろ舟の蛮女」というものがあります。
結構知られているお話ではありますが、ご紹介させていただきますね(^^)
加賀国・尾張国・越後国・神戸沖など、たくさんの記録がある虚舟(うつろぶね)ですが、最も知られているのが常陸国のものです。
享和3年(1803)、常陸国(現在の茨城県)鹿島郡の浜辺に、うつろ舟が漂着しました。
うつろ舟は鉄でできていて、お香の入れ物または釜のような丸い形をしていて窓(ガラス張りか?)があり、文字のようなものが描かれていました。
中には不思議な姿をした異国の女性がいて、大切そうに箱を抱えていました。
女性は髪と眉が赤く、顔色は桃色。白く長い付け髪を付けていました。
全く言葉が通じず、女性は微笑んで人々を見つめていたといいます。
舟の中には水二升ほどが入った瓶・素材がわからない敷物が二枚・菓子のようなもの・肉を練ったような食物がありました。
人々の推測では
蛮国の王女が嫁ぎ先で不貞が発覚、王女では殺すわけにはいかず、舟に乗せて流したのではないか。大事そうに手に抱えている箱には、おそらく処刑された愛人の首が入っているのだろう。手離そうとしないのはそのためだ。
昔、これと同じように蛮女がうつろ舟で漂着したことがあって、舟の中には板に載せられた生首があったというぞ。
人々はどうしたものか相談し、結局お上に知られることを恐れ、女性をそのまま沖に流してしまったそうです
この乗り物は潜水艇のようなものではないか、という説もありますが、船の形が未確認飛行物体に似ていることから、江戸時代のUFO伝説として知られるようになりました。
また2010年に茨城県水戸市で文書が見つかっており、それによれば、うつろ舟の漂着地は現在の神栖市波崎舎利浜とあり、具体性があるとされているようです。
また常陸国には金色姫という異国の女性がうつろ舟に乗り、日本に養蚕を伝えたという金色姫伝説があり、神栖市の星福寺に祀られている蚕霊尊(金色姫)は上記の文書に書かれた女性にそっくりです。
う〜ん。。。
私個人の感覚では、この金色姫とうつろ舟の女性は別のように感じますが。。。
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