さきたま古墳群ウォーキング
稲荷山古墳は全長120mの前方後円墳で、5世紀後半頃に造られたと考えられ、さきたま古墳群の中で最初に造られた古墳です。
元々は墳頂部に稲荷社があったためこの名がつきました。
まわりには長方形の塀が中堤をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中堤には造出しと呼ばれる張出しがあります。
こちらが造出しですね↓
大阪の大仙陵古墳に墳形が類似しており、大仙陵古墳を4分の1に縮小すると、稲荷山古墳の形に近くなるのだそう。さきたま古墳群の二子山古墳・鉄砲山古墳も稲荷山古墳と同じ墳形をしていることから、大仙陵古墳をモデルにした墳形と見られています。
前方部は1937年に、周辺の沼地の干拓工事の際に埋め立て用の土として失われてしまいましたが、2004年に復元されました。
えっ何で古墳の土を⁇信じられない…
と思っちゃいますよね。
ガイドさんのお話によれば、終戦前までは古墳や遺跡などは重要視されておらず、このような土取り工事などに利用されてしまうことも多かったのだとか。今となれば本当にもったいない話ですね。
ですがちゃんと復元されて良かった良かった♪
1968年の発掘調査では、後円部から二つの埋葬施設が発見され、そのうち礫槨はよく残っており、多くの副葬品が発見されました。
墳頂には河原石が貼られていて、礫槨(埋葬施設)や副葬品の出土位置が描かれています。
その一つである金錯銘鉄剣からは、115文字の銘文が見出され、他の副葬品とともに国宝に指定されています。
被葬者は素晴らしい副葬品の数々をもって埋葬されており、ヤマト王権に関係の深い大首長、またはその一族の有力者だった可能性が高いとされます。
つまり出土した鉄剣に名前が刻まれているヲワケ本人か、その一族の有力者ということでしょうか?
色々な説があるようですが、決定的な証拠はないそうです。
う〜ん。。。
ヲワケのような気がしますがね
稲荷山古墳から見る丸墓山古墳
記念撮影
さて、満月の本日はイベントです
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