安房国一ノ宮 安房神社 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

さて今日は、安房国のもう一つの一ノ宮キラキラ

そして私が兼ねてから参拝を熱望していたこちらの神社をご紹介いたします(^^)


『安房神社』
安房国一ノ宮

本社ご祭神〈上の宮〉
天太玉命

相殿・后神
天比理刀咩命

摂社ご祭神〈下の宮〉
天富命(天太玉命御孫神)
天忍日命(天太玉命御弟神)


平安時代の資料の一つで斎部広成が編纂した「古語拾遺」などの書物によれば、安房神社の始まりは2670年以上前に遡るといいます。
※神武天皇の活躍年代は実際は280年頃と推測されます。

下の宮にお祭りされている天富命は、神武天皇の勅命により、四国・阿波徳島の忌部一族を率い肥沃な土地を求めて旅立ち、黒潮にのってここ房総南端に到着しました。
そして上総・下総へ麻や穀(紙の原料)といった植物を広め、産業地域を拡大していきました。

開拓を終えた天富命は、無事に成し遂げられたのも祖先の加護によるものだと考え、祖父にあたる天太玉命をお祀りして、祖先の恵みに感謝したとのことです。



「安房忌部家系之図」によれば養老元年(717)に現在の場所へ天太玉命を奉斎し、同時に天富命も下の宮にお祀りしたといいます。

ちなみに上の宮のご祭神である天太玉命とは天照大神の重臣で、天照大神が天岩戸にお隠れになった時には、中臣氏の祖先である天児屋根命と一緒に、天照大神が出御されるために活躍した神です。

物を作る技術に長けた子孫が多くいたことから「産業の総祖神」として信仰を集めています。


ここで一つの疑問が。。。

昨日ご紹介した洲崎神社は安房国一ノ宮。
ここ安房神社も安房国一ノ宮。

原則的に一ノ宮は、一つの令制国に一社とされていますが、安房国にはなぜ二つの一ノ宮があるのでしょう⁇

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によれば、平安時代末期に相模の石橋山の合戦で大敗を喫した源頼朝が海路で安房に逃れ、洲崎明神へ参拝し源氏復興を祈願、
その後、頼朝は安房で再び挙兵し平家討伐を成功させました。

このことから洲崎神社は再起・再興の神様として坂東武士の崇敬を集めることに。

時は流れ、江戸時代後期に房総半島を巡視した老中の松平定信が洲崎神社を参拝の折に「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納。それ以降、この扁額が安房国一ノ宮の根拠となって、安房国に二つの一ノ宮が存在することになったのだそうです。


☆琴平社


☆御仮屋


☆ご神木の槇


☆厳島社


☆慰霊碑


☆ご神水


☆手水舎


☆御朱印

ご朱印帳がいっぱいになったので、こちらで拝受いたしましたピンク音符



忌部(斎部)氏の歴史書ともいえる「古語拾遺」を勉強してからずっと訪れたかった安房神社へついに参拝することができ感無量でございますハート

ともに古代の神道を牽引してきた中臣(藤原)氏にだんだん追いやられ、立場を失った忌部氏。
滅びたと思われていた忌部氏が近代に再び脚光を浴び、大正天皇の大嘗祭で「麁服(あらたえ)」を調進し復活します。

そんな忌部氏の祖神である天太玉命をお祀りする安房神社は「忌部氏」を強く感じられる素朴な、どこか懐かしい雰囲気の神社でした♡


またまたちなみにですが。。。
安房神社の境内には「安房神社洞窟遺跡」がございます。昭和7年に関東大震災の復旧工事で、神社の参籠所裏に井戸を掘っている時に偶然発見された海食洞窟で、抜歯の痕跡がある人骨や貝輪(貝製の腕輪)、小玉や土器が出土しています。

抜歯ですが、健康な歯を故意に抜く習慣で、縄文時代後期に盛んに行われていました。

残念ながら今回は私も見れなかったので、再訪の際にはしっかりとおさえておこうと思います☆



☆本日12/28()は占いサロン「青琴会」に出勤しております

青琴会HP


個人鑑定も随時受付しております

オーラ鑑定

西洋占星術鑑定





人気ブログランキング