なるほど、山が重なってる感じなんですね。
富士山の周辺一帯は数百万年前から火山活動が活発で、その頃は南東にある「愛鷹山(あしたかやま)」も活動、2つの大きな活火山が並んでいたことになります。現在はこの愛鷹山の頭部が富士山の北傾斜5号目の小御岳付近に露頭しています。
愛鷹山 写真はお借りしたものです
約10万年〜約5000年前までを古富士火山(星山期)といい、小御岳火山がしばらく休止した後、約10万年前から新たな活動期に入り、この時期を古富士火山と呼びます。古富士火山は爆発的な噴火が特徴で、その噴火により噴出された大量の火山灰や溶岩などにより、標高3000mもの大きな山体が形成されていきました。
そして新富士火山旧期に入ります。
紀元前1万5000年前〜紀元前6000年頃。
この時期は「噴火のデパート」と呼ばれるほど、溶岩流・火砕流・火山灰・山体崩壊などの様々な現象が多発しています。
大幅に省略しまして、約3000年前に飛びます。
この縄文時代後期には4回の爆発的噴火を起こしています。
さらに約2900年前。
富士山の東斜面で大規模な山体崩壊が起こり、岩屑なだれや泥流が発生。
「御殿場泥流」と呼ばれるこの泥流は御殿場周辺から東は足柄平野へ、南は三島周辺を通り駿河湾へ流下しました。
この山体崩壊は、この当時に顕著な噴火活動が見られないことから、近くの断層を震源とする大地震によるものという説があるようです。
富士山と地震の関係ですが、南海トラフや近隣地域を震源とする地震の前後25年以内に、富士山に何らかの活動が発生している事例が多く見られることから、やはり富士山と地震とは関連性ががあるとされているようです。
そして清寧天皇の時代の482年頃。
旧暦の3〜4月にかけて富士山が噴火したと見られる記述が「走湯山縁起」に見られます。
清寧天皇三年壬戌三・四月
富士浅間山焼崩、黒煙聳天
熱灰頻降、三農営絶、五穀不熟
依之帝臣驚騒、人民愁歎
富士山が噴火し、黒煙が天に昇る。
熱灰が雨のように降る。
三農は営を絶ち、五穀は実らず。
天皇、使を立てて神宝を献じ捧ぐという。
走湯山縁起(そうとうさんえんぎ)は熱海市の伊豆山神社の縁起で、この記述が最も古い現実的なものではないかとされていますが、公式には奈良時代末期の天応元年(781)、朝廷が編纂した「続日本紀」の記録が最古の噴火記録となっているようですね。
写真は箱根元宮神社に参拝した際に撮影したもので、自分の富士山の写真の中で一番のお気に入りです
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