紫陽花の歴史 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

先日の鎌倉ツアーの記事では、美しい紫陽花の写真をたくさんご紹介させていただきました(^^)

全国にある紫陽花の名所といわれるところは、鎌倉もその代表の一つですが、寺院が非常に多いですあじさい

これにはちゃんと理由があり
紫陽は死者に手向ける花
と考えられたことに由来します。

紫陽花は日本原産の植物で、古い時代から日本に元々あった原種は、関東地方に自生していた「ガクアジサイ」。手まり咲の球状の紫陽花は安土桃山時代に入ってから逆輸入されたものなんです。


これは意外!
どちらかというと手まり咲の紫陽花の方が一般的な感じですよね。

アジサイ→紫陽花
としたのは平安時代。歌人で学者の源順(みなもとのしたごう)といわれています。

集(アヅ)真(サ)藍(アイ)

青花が集まって咲く様子から名付けられたというアヅサアイが訛ったものとされます。


また紫陽花には「七変化」や「八仙花」という別名があり、咲き始めは白色で、時が過ぎるとともに水色から青色に変化し、夏には緑色に変わる事から付いた名前だそうです。


なるほど、だから花言葉も「移り気」なのかピンク音符




さてさて、日本において紫陽花が最初に登場した書物は『万葉集』です。

ですがその数はわずか2首のみ。

まだ表記が統一されていませんでしたから

紫陽花→味狭藍・安治佐為

と記されています。



言問はぬ  木すら味狭藍  諸弟(もろと)らが

練の村戸(むらと)に  あざむかえけり


物言わぬ木でさえ紫陽花のように移り変わりやすい

諸弟らの巧みな言葉に私は騙されてしまった




安治佐為の  八重咲く如く  やつ代にを
いませわが背子  見つつ思はむ(しのはむ)


紫陽花のように群がって咲く花のように

いつまでも健やかにおいでください

この花を見るたびにあなたを想います



最初の歌は、紫陽花をコロコロと態度を変える人の言葉に例えていますね。移り気的な意味合いはこの頃からあったのでしょうね。


源氏物語・枕草子・古今和歌集には、紫陽花の歌は確認されていないようです。



安土桃山時代には、最も古い紫陽花画画登場。

狩野永徳による「松と紫陽花図」という作品で、現在は京都の南禅寺に所蔵、重要文化財に指定されています。


これが江戸時代に入ると、尾形光琳などの画家により紫陽花が描かれるようになります。

また松尾芭蕉は俳句を、葛飾北斎は絵画を残しています。


葛飾北斎『紫陽花に燕』


以前に記事にしました江戸時代末期のドイツ人医師「シーボルト」ですが、彼はとても紫陽花と関係が深いんです。

長崎の出島に滞在していたシーボルトは「お滝」という日本人女性と結ばれ、子どもをもうけました。
ですがその後、シーボルトはトラブルから国外退去処分となり、母国のオランダへ帰国することになるのですが、その際に持ち帰った紫陽花が欧州で大人気となり、品種改良が盛んに行われました。

そのことがきっかけで、現在では欧州で作り出された紫陽花が日本に逆輸入しているんですね。

シーボルト自身も、帰国後ツッカリニという植物学者とともに「日本植物誌」を著し、アジサイ属の花14種を新種として紹介しています。

当時、逆輸入された紫陽花の中には
Otakusa
という名前の紫陽花がありました。
名付けたのはシーボルト。

お滝さんを深く愛していた彼は、自分の大好きな紫陽花に彼女の名前を付けたのです。

しかし紫陽花にはすでに別の名があったため、認められることはなかったそうです。




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