えっまた?
と思われた方、すみません今日まで書かせてくださいませ(^^)
昨日は『火雷大神』のお話でしたが、今日は『火雷天神』のお話です。
そう、天神といえば…菅原道真公です☆
菅原道真公を天神様とし、特にその神霊に対する神道の信仰を「天神信仰」といいますが、元々は日本における天神(雷神)に対する信仰で、国津神に対する天津神のことをいいました。
天津神…高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称
国津神…葦原中国(地上)の神々
なぜ菅原道真公は天神様と崇められるようになったのでしょう⁇
皆さんご存知のとおり、菅原道真公は宇多天皇に重用され寛平の治を支え、右大臣にまで昇りつめ活躍した人物です。
しかし藤原時平の陰謀により謀反の疑いをかけられ、太宰府に左遷され失意のうちに没しました。
道真公は没後すぐに
天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)
という神格で祀られます。
その後…
京都で道真公の左遷に努めたとされる藤原菅根が落雷で死去。
日蝕・彗星・落雷・地震・洪水などの天変地異。
疫病の流行
醍醐天皇の皇子が次々と病死
などが次々と起こります。
そして道真公の怨霊だと決定づける
『清涼殿落雷事件』が。。。
延長8年(930)、干ばつに見舞われていた平安京は、醍醐天皇がいる宮中の清涼殿で雨乞いの協議中でした。すると愛宕山上空からにわかに黒雲がわいて、平安京に雷雨が降り注ぎ、1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷。
公卿や官人たちが巻き込まれ、太宰府での道真公を監視する役だった藤原清貴は即死。さらに落雷は隣の紫宸殿にもおよび、数名が死亡しました。
天皇の居所にまさかの落雷。清涼殿は死穢は厳禁の為大混乱になり、醍醐天皇は避難したものの、惨状を目の当たりにして体調を崩し、3ヶ月後に崩御されます。
このあり得ないような大惨事から、道真公の怨霊が雷神を操って落雷を起こした、と噂されるようになり、北野の地に祀られていた火雷神と結びつき「火雷天神」と呼ばれるようになりました。
そして道真公の怨霊を鎮めるため、朝廷はこの地に「北野天満宮」を建立しました。
道真公は学問に対して偉大な事績を残したこと、そしてその人柄から“天神様”として崇められ、学問の神・誠心の神として崇敬されています。
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