新潮社ツアー
歴史作家 関裕二先生と行く
ベールに包まれた「丹波(タニハ)王国」を旅する
〜ヤマト建国を陰から操った人々〜
ツアー2日目のスタートはこちらの神社さんから
こちらの神社には「かぐや姫」伝承が残されています
☆狛犬
参道を進みます
『竹野(たかの)神社』
ご祭神
天照大神
摂社の斎宮神社にお祀りされている竹野媛命は、丹波大県主由碁理(ゆごり)の娘で、第9代開化天皇の妃となり、年老いて郷里に帰り、天照大神を奉祀したのが竹野神社のはじまりと伝わります。
摂社「斎宮神社」
ご祭神
日子坐王命
建豊波豆良和気命
竹野媛命 麻呂子皇子
同じく斎宮神社に祀られている麻呂子皇子にはこんな伝承が。
推古天皇の時代、加佐郡三上の岳に
鱏古(えいこ)・軽足(かるあし)・土車(つちくるま)
という3人が多くの凶徒を集め人民を苦しめていました。天皇は麻呂子皇子に征伐を命じました。凶徒は竹野郡に逃げて征伐されるも鬼となったため、麻呂子皇子を北狄守護神として斎宮神社にお祀りしたといいます。
本殿前では伴とし子先生と櫻井宮司からお話を聞くことができました(^^)
こちらの竹野神社は大変興味深いお話がたくさんありました
天皇家とも深い関わりを持ち、先ほどご紹介した鬼伝説が伝わる竹野神社。宮司の櫻井氏は麻呂子皇子に追従して鬼を退治した方のご子孫なのだそうです。
見ると3年以内に…という鬼にまつわる祭祀も古来より行われているのだとか
また竹野神社の神姫(斎宮)についての伝承も心に残りました。
竹野神社の神姫となるのは
丹後国熊野郡久美浜町の市場村「日下部家」に生まれた、選ばれた女の子
でなければならなかったそうです。
久美浜町は、古代水軍海部氏がいた“古代の海部郷”
麓神社の記事にも登場した日下部家は、日子坐王にさかのぼる丹後の名家で、浦島伝説も伝わります。
最後に竹野媛についてご紹介いたしますね。
昔、依遅ヶ尾(いちがお)山に三頭五尾の大蛇が棲んでいました。ある日この大蛇が斎神社(ご祭神は竹野媛)の神姫に一目惚れして恋の病に落ちました。しかし斎神社の神威に打たれて近くことができません。
斎神社の神は大蛇に
「二百十日の巳の刻に斎神社のお旅所に行けばお前の恋を叶えてやろう」
と告げます。神姫も同じお告げを聞きました。
二百十日の午後一時頃、天がにわかに曇り大雨となり、二時頃に真っ黒な雲に乗って大蛇が来ましたが、斎神社の威光に打たれ、立岩の沖の海に落ちてしまいました。
この嵐のために大蛇の恋は不成立に終わりました。
第9代開化天皇の妃となった竹野媛は
丹波大県主由碁理の娘で、比古由牟須美王(ひこゆむすみのみこ)という男子を生んでいます。
日本書紀には比古由牟須美王(彦由産隅命)を丹波道主命の父とする一伝があります。
比古由牟須美王のご祭神が大筒木垂根(おおつつきのたりね)で、さらにその子が加具夜姫となります。
つまり竹野媛のひ孫ということになりますね。
この出来事が竹取物語の伝承として丹波に残されています。この伝承を当時の勢力図に当てはめてみると非常に面白いなと思いました。
宮司さんのお話と、伴とし子先生からいただいた資料を元に書かせていただきました☆
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