江戸時代中期の宝永3年(1706)
出石藩主の松平氏と信州上田藩の仙石氏(仙石政明)がお国替えとなり、その際に仙石氏とともに信州からやって来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられて誕生したそうです。
現在の割子そばの様式となったのは幕末で、屋台に出す時に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まったといわれます。
その後、出石焼が始まって、白地の小皿に盛る様式が確立されました。
現在は出石には約50軒のお蕎麦屋さんがあり、関西屈指のそば処として知られています。
出石城旧三の丸大手門脇の櫓台にある、日本最古と伝わる時計台です。
本体は明治4年、太鼓を鳴らして時刻を知らせる楼閣として建てられました。
辰の刻(7〜9時)の城主の登城を、太鼓の音で知らせていたともいわれています。
現在の時計台の姿となったのは明治14年。
城下町で開業していた蘭方医の池口忠恕氏が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをし、池口氏はそのお礼として、オランダ製の機械式大時計を取り寄せて寄贈しました。
寄贈にあたり、町の青年二人を東京に派遣して、時計作りやメンテナンスの技術を学ばせたとも伝わります。
蘭方医と町の人々との交流がきっかけで生まれた時計台なんですね〜素敵なお話です♡
☆出石城登城門
出石城は慶長9年(1604)、小出吉英により有子山の山裾に築かれたお城で、当時の城域は
東西約400m・南北約350m
あったとされています。
城の造りは梯郭式で、山麓の上から
稲荷郭・本丸・二の丸・下郭・三の丸
の順に梯子を立てかけたように築かれています。
版籍奉還まで270年間にわたり、五万八千石の本城として威容を誇りましたが、明治元年に建物は全て取り壊され、現在は登城門や登城橋が復元されています。
☆出石城登城橋
野面積みの石垣はそのまま残されています。
出石城。。。
今回は時間の都合上、登ることは出来ませんでしたが、また訪れる機会がありましたら、稲荷神社(出石城の一段高い場所に鎮座する城の鎮守)から、城下町を眺めてみたいです
きものレンタルも出来るようなので、1日かけて散策するのも良いですよね☆
人気ブログランキング