「三昧(さんまい)」
サマーディの音写である三昧(さんまい、サンスクリット語: समाधि, ラテン文字転写: samādhi)は、仏教やヒンドゥー教における瞑想で、精神集中が深まりきった状態のことをいう。三摩地(さんまぢ)、三摩提とも音訳され、等持、定と義訳される。サマーディの語は「組み合わせ」という原義から「心を等しく持すること」の意に転じたもので、サマーパッティ (samāpatti, 等至) とも意味内容はほぼ同じとされる。仏教における三昧の同義語・類義語については定にて解説するが、(定の定義に沿っているか否かにかかわらず)三昧と呼称されるものを本記事にて解説する。
このsamādhiという語は、インドの瞑想の伝統の中で培われたものであり、仏教だけでなく、共通の背景を持つヒンドゥー教やヨーガの用語としても用いられている。インドでは聖者の入滅をサマーディと表現する。
(ウィキ先生「三昧」より)
へえ、仏教だけかと思ってたら、ヨガでも使うんだなあ!
ヨガやってるみなさま、知ってました?
下線を引きましたように「三昧」とは
「瞑想で、精神集中が深まりきった状態のこと!」
だそうです。
ヘミシンカーさん向けに言えば
「フォーカス10」
「フォーカス12」
かも南蛮。
【ヘミシンクにおける各フォーカス】
C1 =この世。F1とも。普段はここにフォーカスしている
F3 =心と脳が同調している状態
F10=肉体は眠り、意識は目覚めている状態
F12=空間と物質(肉体)から解放された状態
誰かがどこかで書いていましたけれど(坂本さんだっけ?)
長年修業を積まれておられるお坊たんでさえ
F10やF12の「深さ」はごく限られた修行僧の境地だそうで
「それをいとも簡単に誰でも到達できるなんて、ヘミシンクずるい!」
と言ったとか言わないとか。
まあ、これはヘミシンクの話でして
結局「三昧」の境地は
「現実人生で味わってナンボ!」
なわけですよ。
だから
「子どもに戻ろう!」
ということなんです。
いつも楽しく
いつも新鮮
いつも夢中で
いつも真新しい
いつも「いまここ」で
いつも友だちと遊びをシェアする
それが「子ども」ってもんだみん。