(この記事は、一部強めの表現が含まれます。

一切の議論はしませんので、異論反論オブジェクションはご自身のブログ等でどうぞどうぞ。

私の名前を出して下さっても私は全然大丈夫ですので、どんどんご批判ください

 

追記を最後に書き加えました

 

 

 

【低いバイブレーションの視点】

 

 

それは

 

「私だけが良ければいい!」

 

というものが典型的な例ですが

 

 

この「私」を広げて

 

「人類」

 

とかに置き換えちゃうと

 

 

いきなりスピリチュアル!

 

っぽくなりますw

 

 

 

でも、気をつけて!

 

 

「人類だけが良ければいい」

 

って「スピっぽい」だけで

 

 

【低いバイブレーションの視点】

 

であることには変わりないのです

 

 

 

 

たとえばEVA…

 

 

すでに「あの」バイブレーションから脱却している皆さまにはお分かりの通り

 

「人間が良ければいい」

 

という視点ですと、往々にして

 

 

「地球は怒っている」

「地球は病気である」

「地球は悲しんでいる」

 

などという主張をし始めます

 

 

これはとても

 

人間の「情」の部分に訴えかける

 

ステキナイスな言葉であることは理解しますが

 

 

こんな情報は「小説」や「物語」として楽しむにおさめ

 

間違ってもお金など支払ってはなりません

(私がここまで強く「他の存在さんを縛る」表現をするのは本当に珍しいのです)

 

 

 

 

「私」「人類」「人間」中心の視点ですと

 

現在の地球は

 

怒っているように見えるし

病気のようにも見えるし

悲しんでいるようにも見えるでしょう

(「地球中心」のように思わせて、実際は「私さえよければ」の「人間中心」であることに留意)

 

 

 

ただ、「その視点」ですと

 

そーっとあなたの内部に

 

「焦り」

「不安」

「恐れ」

 

を植え付けられている!

 

ということに一刻も早く気づかれてください

 

 

 

 

有史以来、エセ宗教やニセモノスピ連中がやってきた

 

こうした表現に、私は唯一怒ります

(思ったり語ったりは、もち自由です。金取るなって話。そんなに地球がヤバいなら無料で叫んでればいいじゃん。「金取るな」っていうのは、そこにエネルギーが発生するから双方面倒くさいことになるでしょ、ってことです)

 

 

 

長いので〆ますが…

 

 

【最強のバイブレーションの視点】

 

 

「ただ在る」

「あるがまま」

 

の【最強の視点】に拡大した皆さまにはお分かりの通り

 

 

地球は怒っておらず

地球は病気でもなく

地球は悲しんでもいません

 

 

地球は「ただ在り」

 

「あるがまま」をやっているだけです

 

 

 

地球の長ーい歴史の中では

 

「人間が住めない環境の時代がほとんど」

 

であって

 

 

「人間が住みよい環境の時代などまばたき程度」

 

にすぎません

 

 

 

人間と地球さんに「意味付け」をするのは自由ですが

 

 

「焦り」

「不安」

「恐れ」

 

を植え付けてくるような「意味付け」でしたら

 

 

興奮せずに落ち着いて「それ」を眺めながら

 

「そっと離れる!」

 

のがベターでしょう

 

 

 

【追】

言葉足らずなところは申し訳ありません

m(__)m

 

 

「地球は怒っている」

「地球は病気である」

「地球は悲しんでいる」

 

という表現を利用して

 

 

「焦り」「不安」「恐れ」を植え付ける情報

それに対して金銭を結びつけるアセンション商法

 

に対して留意してはいかが?と言っています

 

 

 

私たちは「できることしかできない」存在です

 

普通の民間人でしたら

 

・ごみを分別したり…

・海を汚さないよう気をつけたり…

・ブログなどで「地球を人間の住みやすいようにしようよ!」と訴える…

 

くらいしかできませんし、「それで十分」なのです

 

 

 

地震で家屋が倒れたり

噴火で飛行機がストップしたり

水害で農地がダメージを受けたり

津波で多くの方が犠牲になったり

 

というのは

 

 

「人間にとってはつらい体験」

 

ですが

 

 

「地球にとっては単なる生命活動」

 

の一部に過ぎないのです

 

 

 

「ね?言った通りでしょう?もっと地球はひどくなりますよ?」

 

っていう言葉を

 

 

「救われたい目線」で聞いたり、「救ってやるよ目線」で語るか

 

「人間が住みやすい地球にするために」人々が知恵を出すか

 

では180度違いますよ、ということを述べたかったわけです