経済奴隷としての日本人 | 加納有輝彦

経済奴隷としての日本人

    公明党山口代表は中国の大学にて「日中関係は、安倍総理大臣の中国訪問などを通じ、正常な軌道に戻りつつある。今後も、来春予定される習近平国家主席の訪日を含めたハイレベルの往来を継続し、日中関係を新たな段階に押し上げていきたい」と述べた。

    安倍首相、閣僚は、来春、日本を訪れる予定の習主席、中国を刺激しないよう8/15の靖国参拝は行わなかった。

   かつて、安倍首相は8/15に靖国参拝できなかった事を「痛恨の極み」と悔いたが、あれから何回「痛恨の極み」を重ねたのだろう。

   「痛恨の極み」とまで仰ったのであれば、名誉挽回、必ず実行されるだろうと、そこまで重みのある言葉である。

  痛恨の極みという言葉は、「真っ赤な嘘」だったと言われてもしょうがないでしょう。

   昨日の香港から日本の、とりわけ政治家に向けられた新聞全面広告のメッセージをなんと読む?

~私たちが、香港市民であり続けられる日は、貴国に咲く桜の花と同じように、短命であり長くはありません。

私たちは、香港が次の世代が安心して暮らしていけるよう、自由のため行動していきます。~

    習近平氏に遠慮して靖国参拝もできないような腰抜け政治家に、香港人の決死のアピールも空しく響くというのか。

   万万が一、香港が64のような事態になり、桜が散るがごとく自由への戦いが死ぬようなことになれば、


良識ある日本人は、来春、かの人を国賓として迎える事に、とうてい耐えることが出来ない。

    良心を殺して迎える政治家は、正義を希求する良識ある世界の人々から「人非人」と断罪されるであろう。

かつて、大川隆法総裁が「信仰告白の時代」のまえがきにて厳しく戦後日本人を断罪した、その通りの様相を呈しつつある。

そう、経済奴隷としての日本人。経済奴隷は、自由、民主、信仰より経済を優先する。

  ~宗教から遠ざかりさえすれば、第二次世界大戦のような惨禍は避けられるものと、ひたすら無宗教化をすすめてきた。その結果得られた、世界からの評価は、色・金・欲にまみれた経済奴隷としての日本人の姿に象徴される。

 理想も、理念も、正義も、気概も、なにもかも、打ち捨ててしまった「町人国家日本」は、国家からは背骨とでもいうべき「宗教」を抜き去ったら、ただただクラゲのように漂うしかないということを証明した、悲劇の文明実験国でもあった。~

   宗教を蔑ろにしている日本が、無神論のチャイナを宗主国として迎えるというのだ。


なるほど、理想も、理念も、正義も、気概も、なにもかも、打ち捨ててしまったというわけだ。

    そのような絶望的前衛で、日本にて一人、正義のための戦いを挑んでおられる方こそ大川隆法総裁と思います。

    最後の希望。

    日本が、平和と正義の守護神となるべく立ち上がる・・ この主の理想に殉じたい。




 

 

 

 

 

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