国民の生命より「政治生命」の方がお大事? | 加納有輝彦

国民の生命より「政治生命」の方がお大事?

ある経営者との会話

 

 

「なんとか、融資がおりた。 これで首を吊らなくて済んだ。」

 

 

なんのかんの言って、コロナ自粛による経済の萎縮の影響は甚大である。 直接、間接に、お金という血液を流す血管が、詰まってきた。動脈、毛細血管、詰まり詰まりしている。

 

ある○○産業の関係者

 

「この業界ほぼ、全滅だ。トップランナーの会社でも社員を半分に分けて、交互に出勤してもらっている。国の助成金の特例も9月まで。」

 

 

風が吹けば桶屋が儲かるではないが、こんなところに影響しているのかと、改めて、経済というのは、巡り巡っていることを知る。

 

 話を戻す。

 

首を吊らなくて済んだという経営者の話を聞いて、私も安堵するも、たった10分にもならない立ち話の間、「融資がなかったら今頃首を吊っていた・・・」と三回も仰った。

 

 私は思わず、笑いながらではあるが、

 

「首を吊るって話は、ダメ!」と。  冗談にしろ、このような表現が、思わず口から出るということは、そのような漠然としたイメージが頭の中に存在するということ。 

 

 これは結構、怖い。

 

 もうこうなると、政治も宗教もない。

政策提言では間に合わない。

 

まずは、止血。

 

「自殺は、ダメです。」

その意味をお伝えしなければいけない。

 

 これは、おそらく宗教政党・幸福実現党の役目の一つでもあろう。

 

私も過去「自殺防止キャンペーン」にも関わってきた。 橋本龍太郎総理の時の、5%への消費税増税による不況のあおりで、自殺者が3万人を十数年にわたり超え続けた。 それまでは、2万人強だった自殺者が、3万人を超えた。 ざっくり1万人増えた。

 

 コロナによる死亡者は、現在のところ1000人程度。10倍である。 

 

 だから、経済は命そのものである。 現場では、政治も宗教もないというのが実感である。  人の命、そして魂の生命が危ない。 

よく、我々の敗北に対して、

「あなたの政治生命はもう終わったね!」とご親切に仰っていただけますが、  「政治生命」って、何? 

 

既成政党のお偉い先生方には、確かに政治生命っておありなんでしょうけど、我々、箸にも棒にも掛からぬ浪人には、もともと政治生命なんてありゃせんですよ。 

 

てめぇーの政治生命なんてどうでもいいんですよ。 

 

一生懸命働いてきた人々の命を守る

 国民の命を守る 国民の生命、

財産を守る。

 国を、覇権国家の侵略から守る。 

 

これが、政治の使命。 

 

 9月に解散総選挙って、吹聴している政治評論家もおられるようですが、コロナ禍、水害、不況、・・・泥を汗ダクになって取り除いている国民からしたら選挙どころではないでしょう。 

 

 それとも国民の命より、「政治生命」のほうがお大事? 

 

ふ・ざ・け・る・な!

 

 国民からしたら、税金を食んで、この期に及んでどこかの国の共産党政権に怖くてモノが言えない腰抜けの輩の「政治生命」なんてどうでもいいんですよ。 

 

消えてなくなっちまえ!(笑) 

 

 現在只今、とりあえず、給付金、助成金で命を繋いでいますが、これもそのうち切れます。

 

 ずぅーっと給付金のお世話になることはできません。

 

 政治的救済と共に、いま、本当に必要とされているのは、戦後日本人が忌避し遠ざけてきた「宗教」なのかもしれません。  

 

そして、

一番、いま、必要とされているのは、

 

祈り

 

 

なのかもしれません。   

 

 

 

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